語の生まれた経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 14:49 UTC 版)
もともと現在の京都本線や千里線・嵐山線は、京阪電気鉄道(京阪)の子会社であった新京阪鉄道が建設ないしは買収(京都本線と千里線のそれぞれ一部にあたる十三 - 淡路 - 千里山間は北大阪電気鉄道が建設)した路線である。 その後まもなく新京阪鉄道は京阪電気鉄道に合併されるが、戦時統制の一環として陸上交通事業調整法に基づき1943年(昭和18年)に宝塚本線・神戸本線系の路線を建設・運営していた阪神急行電鉄(阪急)と京阪電気鉄道が合併して京阪神急行電鉄が発足した。 戦後になって経済民主化の方針から再び京阪電気鉄道を1949年(昭和24年)に分離することになったものの、元新京阪鉄道の路線は京阪神急行電鉄にとどまったことで現在の形になった経緯がある。 そのため阪急が自ら建設した路線とは路線規格(たとえば現在でも、京都本線淡路以東の上下線の間隔は他線よりも広く、その分、離合の際に生じる空気衝撃が小さい)や車両・架線電圧(京都本線系統は1500Vに対し、元の阪急の路線は当時600V)・電装品(京都本線系統は東洋電機製造製に対し、元の阪急の路線は東芝製)などさまざまな面で異なり、結果京都本線系統の路線を宝塚本線・神戸本線系統の路線と区別して呼ぶ習慣が生まれ、後者の総称としてこの語ができたと考えられている。もっとも、「神宝線」の語ができた頃は宝塚本線系統と神戸本線系統とでは車両規格も異なっていたが、現在は統一されている。 また駅名についても○○市と表記される駅は新京阪鉄道が建設した京都本線の淡路駅以東にしか存在せず、この点については現在でも京阪電気鉄道と同じ文化と言える。
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