寓意的および格言的用法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/04 17:11 UTC 版)
「エチオピア人を白く洗う」の記事における「寓意的および格言的用法」の解説
この寓話に対する早期の言及は、ルキアノスの作品にある。彼は「無知者に抗して(Against an Ignoramus)」という警句において、格言的に Αιθοπα σμηχεις という表現を用いた。 君はいたずらにエチオピア人を洗う。なぜ諦めない? 真っ暗な夜を昼に変じさせることなんてできやしない。 15世紀にこの諺はミカエル・アポストリオス(英語版)のギリシャ語収蔵物 (1.71)に現れ、エラスムスは「格言集」を編纂する際にこれを検討した。ラテン語で書かれていたがギリシア語の出典を引用しているこの本において、エラスムスは2つの翻案をあげた。まず、Aethiopem lavas、またはdealbas(エチオピア人を白く洗う、または白くする)で、不可能な作業の一覧に存在した。もう一つの翻案は、Aethiops non albescit(エチオピア人は白くならない)であった。 多くの版が出回った格言集は、ヨーロッパにおいて広く知られた慣用句の元になったが、もうひとつの作品も同様に影響力があった。それは、1534年に初めて出版され、度々版を重ねたアンドレーア・アルチャートのエンブレム・ブックであった。そこには気落ちしたエチオピア人が泉に座り、2人のヨーロッパ人は彼の色を洗い落とそうとしているところが描かれている。この図版の後にラテン語訳されたルキアノスの警句が続いた。ここから、このテーマがHieronymus Osiusと、イングランドのエンブレム製作者ジェフリー・ホイットニー(英語版)に取り上げられた(1564年)。後者による長詩論評は、自然は逆らうべきものではなく、それゆえどんな行為においても、「良識に従い行動しようではないか」と結論付けた。 キリスト教圏のヨーロッパにおいてこの寓話の使用を促した第三の出典は、ユダヤ人の預言者エレミヤによるそれへの明らかな言及である。「ヌビア人(ヘブライ語でクシュ人)が肌の色を変えたり、ヒョウが斑点を変えられるか?」(エレミヤ書 13.23)。紀元前6世紀の変わり目頃と推定されるこれは、西アジア生まれの諺が寓話に先んじていた可能性があることを示している。しかしながら、新約聖書での洗礼を受けたエチオピア人の挿話 (使徒行伝 8.26-39) は、外見がすべてではない、あるいは内的な本性すらも変わりうるという異なる教訓を教えており、リチャード・クラショー(英語版)のこの題材に関する警句、「Let it no longer be a forlorn hope/ To wash an Ethiop」の初めで、矛盾を招いている。 とはいえ、これと正反対のことをいう諺もかなりある。その中には「黒は他の色にならない」、「黒人を白くは洗えない」、「カラスは洗って白くなることはない」などのネガティブな表現も含まれている。3つの諺の内最後は、アフトニウス(英語版)により記録された「カラスと白鳥」(ペリー目録(英語版)398番)の派生的寓話に端を発していると思われる。この寓話では、白鳥の羽に嫉妬したカラスが、色を洗い落とそうとして餓死する。その裏にある、人の基本的性質は変わりえないという教訓は、近東のイソップに相当するアヒカー(英語版)の格言の一つである。「水が天国でも淀んでいるのなら、黒いカラスは白くなり、ミルラはハチミツのごとく甘くなる。そして無知なる者も愚か者も智を知り、賢くなるのかもしれない。」 創造された世界秩序を戻すには、神の恩寵を介さなければならない。そして、これはベン・ジョンソンの「黒の仮面劇(英語版)」(1605年)においてルネサンス期の異教徒を演出する際の根底にある教理である。そこでは、ナイル川の神ニジェールが、娘の黒い肌を白くすることができる国を求めて、海から出現する。エチオピアの月の女神は、その探求はブリテンで終わるといい、彼を安心させる。そのやり取りは、 太陽は世を治め、高きより恵みをもたらす: その輝きは昼夜を問わず、力強く エチオピア人を白くし、死者を蘇らせる その光は理を知り、母なる自然が過ぎゆけば 無知なる全ての生き物を救い給う 汝の娘を前に呼びよせよ : 彼女らをしてブリテン人の前へ 大地に打ち寄せ、その跡を残す 自然の恩寵に満ち溢れ漂う 堂々と海岸へ招きよせ 美しきものはもはや焦がされない : この太陽はあたたかく、清らかで 万物は燦然と輝くあの方のもの 同様な発想は、ジョンソンの後の仮面劇「ジプシーの変身」(1621年)でも再び使われ、ここでは黄褐色から白への肌の色の変更であった。 後期の奴隷貿易においてそれに伴う人種的混合は、この格言的な言葉に新しい意味を与えた。バルバドスでは、「ヨーロッパ人とアフリカ人が交わるところでは、混血が生まれる。ヨーロッパ人と混血が交われば、八分の一混血児が生まれ、八分の一だけ白い。もし八分の一混血児が白人と交われば、四分の一混血児が生まれ、四分の一だけ白い。もし四分の一混血児と白人が交われば、マスティ(白人の血が強い混血)が生まれる。そしてマスティがヨーロッパ人と交われば、マスティフィノが生まれ、八分の七だけ白い(または、「八分の七だけ人間」)。そしてその過程は、「黒人を白く洗う」と呼ばれた」と記録されている。
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