寓意表現
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/19 21:13 UTC 版)
「キリスト磔刑と最後の審判」の記事における「寓意表現」の解説
美術史家ジョン・ウォードは、ファン・エイクが精神世界と物質世界との共存だと考えていた、さまざまな意味深長かつ複雑な寓意表現と象徴性が『キリスト磔刑と最後の審判』にこめられているとしている。ファン・エイクの絵画作品ではこのような寓意や象徴が「背景や陰になっている部分に小さく」ひっそりと織り込まれていることが多い。ファン・エイクの作品に見られる寓意は、調査するたびに新たな発見があるような難解で複雑さに満ちたものである。ウォードはこのような寓意が多くの場合「見過ごしやすく、よく注意しないと分からない」場所に描かれているとしている。美術史家ブライソン・バローズは「最後の審判」のパネルについて「それぞれのエピソードごとに特有の着目点が存在する」と指摘している。ウォードはファン・エイクが鑑賞者にこのような寓意を見つけ出すことを求めており、複雑な構成で描かれた絵画を注意深く鑑賞する者だけに、自身の絵画が持つ本当の意味とその象徴性とを褒美として与えているとする。ファン・エイクが描いた寓意の多くは「約束された罪と死からの救済と再生」を表現しようとしているのである。
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