寓話とその意味合い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/04 17:11 UTC 版)
「エチオピア人を白く洗う」の記事における「寓話とその意味合い」の解説
この物語は、ある黒人奴隷の主人が彼の奴隷は前の主人に面倒を見てもらえなかったから黒いのだと思いこみ、色を洗い落とそうとする話である。派生の中にはあまりにも長くかかりすぎたために、この可哀想な男は病気になったり、風邪で死んでしまうものさえある。古くは、エチオピアの語源となるギリシア語の Άιθιοψ(アイティオプス)は、黒い肌の者全員(英語版)に用いられていた。ある派生では、川で体を洗っている人物はインド出身であると言及されている 。 この寓話に与えられた通常の意味合いは、人間の基本的性質は変わり得ないこと、またはトマス・ビュイック(英語版)の著書「黒人」にあるように、骨に染み込んだものが肉から出ることはない(生来の性分は変わらない)ということである。彼は続けて、「天性の才能なしに芸術や科学を極めようと思うのなら、それは黒人を白く洗おうとするようなものだ。」と述べた。 18および19世紀において、この寓話は、黒人は倫理的にも社会的にも「生まれ持って」の劣等種とする認識を強化するのに用いられた。そのため、ビュイックの一般論的結論は全く悪意のないように見えるが、その根底にある醜悪なものは、天路歴程(1678年)の寓話で暗示されたものを見れば明らかになる。そこでは旅人は愚か者と間抜けに出くわした。「彼らはエチオピア人を白くするために洗濯していたが、洗えば洗うほど黒くなっていった。その後彼らは羊飼い達にどういうことか尋ねた。そこで羊飼い達は彼らに語った、曰く、卑しい人々というものはこの通りである。名声を高めようと手を尽くしても、結局のところ、ただその者をより忌まわしくするだけなのだろう。」
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