寓話・風刺・教訓話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/09 07:08 UTC 版)
紀元前に成立したアイソーポスの『イソップ寓話』、中世フランスで成立した動物寓話詩『狐物語』など、物語において動物はしばしば寓意や教訓を伝えるための材料、たとえ話の素材や風刺の手段として用いられてきた。このような作品に登場する、人の言葉を話し、人間のように生活する動物たちは、現実の動物であるよりはいわば毛皮を被った人間であり、従ってそれらの真の主題は動物ではなく人間とその世界であると言える。ジョージ・オーウェルの風刺小説『動物農場』 (1945) もこうした方法に則って書かれたものである。中世ヨーロッパでは、動物誌あるいは動物寓意集 (Bestiaries) と言われるジャンルも流行した。これは実在・架空を問わず、さまざまな動物を取り上げていき、その名前や習性などについて道徳的、宗教的な解釈をほどこしてゆくというもので、中世に書かれたものの多くは、紀元3-4世紀ごろのギリシア語の書物『フィシオロゴス』を底本にしている。近代科学の発達のためか次第に人気を失っていったが、その形式は近代においても一部後世の児童書に継承されていった。 日本においては動物昔話の一種として、動物同士の競争譚や拾い物の分配譚などのかたちでこのような人間社会を反映した物語が知られているが、風刺の手段・媒介として動物を用いた例は非常に少ない。ローレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』 (1759-1767) を参考にし、E.T.A.ホフマンの『牡猫ムルの人生観』 (1819-1821) を踏まえているといわれる夏目漱石の『吾輩は猫である』 (1905-1906) は、当時の日本においては例外的な作品であった。
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