寓話の内容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 07:16 UTC 版)
フレデリック・バスティアがCe qu'on voit et ce qu'on ne voit pas(見える物と見えない物)で用いた「割れ窓の寓話」は次の通りである。 善良なる店主ジェームズ・グッドフェローが、彼のそそっかしい息子がガラスを一枚割ってしまった時に見せた怒りを、あなたは目撃したことがあるだろうか。もしあなたがそのような場面に居合わせたのならば、30人はいるであろう見物人達が、そろいもそろって、この不幸な店主にお決まりの慰めの言葉をかけるであろう光景をきっと目にする事であろう。「誰の得にもならない風は吹かないという諺があります。我々は皆が生計を立てる必要があります。もしもガラスがずっと割れないとすればガラス屋はどうなるでしょう?」と彼らは言うだろう。 さて、この形式の慰めの言葉は一つの理論を含んでいるわけであるが、そのような理論が、このような単純な出来事で使われるのは良しとしよう。不幸にも、それと全く同一の理論が、我々の経済組織の大部を支配しているのである。 損害の修繕に6フランかかるとしよう。するとこの事故はガラス屋に6フランをもたらす事になる。6フラン分のガラス産業の振興である。まさしくその通りであり、それについては私は一言も反論するつもりはない。正しい推論である。ガラス屋がやって来て、作業を行い、6フラン受け取り、揉み手をして、内心ではそそっかしい子供に感謝する。これらはすべて見える現象である。 しかし、一方で、これは非常によくある事なのであるが、通貨の循環をもたらし、通常それは産業の振興につながるのだから、窓を割る事は良い事である、とあなたは結論付けるかも知れない。そうなれば、私はあなたに声を大にして叫ばなければならない。「ちょっと待ちなさい!あなたの理論は目に見える物に囚われている。目に見えない物についてはなんら考慮がされていない」 この店主が6フランを一つの物に使ったために、別の物を買えなくなったという点は目に見えない事実である。もし彼が窓ガラスを取り替えていなければ、彼は例えば古くなった靴を買い替えたり、あるいは蔵書に一冊追加したであろうという点は目に見えない事実である。要するに、彼は6フランで何かを買えたはずなのに、事故がそれを不可能にしたのである。
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