ジョン・ウォードとは? わかりやすく解説

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ジョン・ウォード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/21 07:04 UTC 版)

ジョン・ウォード
John Ward
生誕 1571年
イングランド王国、カンタベリー
出身地 イングランド王国
死没 1638年
イングランド王国、エセックス
職業 作曲家
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ジョン・ウォードJohn Ward, 1571年 - 1638年)は、イングランド作曲家ジョン・ダウランドの同時代人。

生涯

ウォードは1590年2月15日にイギリスのカンタベリーの生まれ、St. Mary Bredmanで洗礼を受けた。カンタベリー大聖堂の聖歌隊員で恐らく王立学校の生徒だった 1604年−1607年。カンタベリーに1607年まで滞在、その後ロンドンに移り、音楽家としてサー・ヘンリー・ファンショウに仕えた (J.W.と同姓同名の銀行家は別人)。ロンドンのトーマス・クリーと結婚、少なくとも5人の子供を得た。エセックスのリーフォード・マグナに所有する家にて1636年に亡くなった。

作品

ジョン・ウォードは、マドリガルヴァイオル合奏曲、礼拝のための曲、アンセムを作曲した。ウォードのマドリガルは美しい歌詞、広い旋律線、独創性がきわだっている。

マドリガルには次のようなものがある。『行け、嘆きの詩よ(Go Wailing Accents)』、『Fly Not So Fast』。

合唱曲には次のようなものがある。『来たれ、暗黒の夜(Come, sable night)』、『Hope of my heart』、『My breast I'll set upon a silver stream』、『Out from the vale』、『Satyr once did run away』。




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