軍歴とグランドツアー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 08:52 UTC 版)
「トマス・ケネディ (第9代カセルス伯爵)」の記事における「軍歴とグランドツアー」の解説
第2代準男爵サー・ジョン・ケネディ(1742年没、初代準男爵サー・アーチボルド・ケネディの息子、第3代カセルス伯爵ギルバート・ケネディ(英語版)の来孫)と妻ジーン(英語版)(旧姓ダグラス(Douglas)、1767年11月1日没、アンドルー・ダグラス大尉の娘)の次男として、1726年2月12日に生まれた。青年期に受けた教育は知られていないが、『オックスフォード英国人名事典』では兄弟たちと同じくグラスゴー大学に進学したと推測している。1742年に父が死去した後、1744年4月10日に兄ジョンも死去すると、準男爵位を継承、1747年7月22日に兄の遺産継承者として認定された。 1744年10月よりジョン・ジョンソンの歩兵連隊(英語版)(のちの歩兵第33連隊)のエンサイン(英語版)(歩兵少尉)としてオランダに派遣され、そこで第4代チャールモント子爵ジェームズ・コールフィールド(のちの初代チャールモント伯爵)、フランシス・ウィロビー閣下(英語版)(のちの第3代ミドルトン男爵)、第11代ウォード男爵ジョン・ウォード(のちの初代ダドリー=ウォード子爵)と友人になった。1745年に大尉への辞令を購入して、同年のフォントノワの戦いに参戦した後、9月に本国に呼び戻され1745年ジャコバイト蜂起の鎮圧にかかり、1746年春にフォート・ウィリアム包囲戦(英語版)における小競り合いに参戦、同年10月にフランスに戻り、1747年に軍務から引退した。 1748年よりフランスのカーンにあるAcadémie d'Équitationで教育を受け、1750年までフランスに滞在した後、ローマに移住した。フランスではジャコバイトを家庭教師に雇い、バス・ヴィオラを学び、イタリアではジョシュア・レノルズによる『アテナイの学堂のパロディ』(1751年)でバス・ヴィオラ奏者として描かれ、聖職者ピーター・グラント(英語版)と知り合いになった。その後、1755年に帰国した。
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