6250形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 11:44 UTC 版)
「国鉄6200形蒸気機関車」の記事における「6250形」の解説
本形式は、6200形および6270形に煙管取替えの際にシュミット式煙管過熱器を取付け、過熱式蒸気機関車に改造したものである。1915年から1924年にかけて6200形15両、6270形1両に対し、浜松工場で施行された。改造の際に、傾斜していた煙室前面は垂直に作り直され、上側式の弁室を持っていたものはすべて内側式に改造された。第1動輪のスプラッシャー(泥除け)に付属していた砂箱は、ボイラー上に移し、ドーム状のキセが取付けられた。 本形式への改造の経緯、番号の対照は次のとおりである。 1915年改造 6239, 6232 → 6250, 6251(2両) 1916年改造 6230, 6220, 6240, 6228 → 6252 - 6255(4両) 1917年改造 6223, 6219 → 6256, 6257(2両) 1919年改造 6243, 6241 → 6258, 6259(2両) 1921年改造 6226 → 6260(1両) 1922年改造 6222, 6234, 6277 → 6261 - 6263(3両) 1924年改造 6214, 6212 → 6264, 6265(2両) 当初の配置は、ほとんどが名古屋鉄道局管内で、東海道本線沼津 - 米原間や北陸線で使用された。1920年代後半には、13両 (6250 - 6253, 6257 - 6265) が6270形がタンク機関車への改造のため転出した代替機として四国の小松島機関庫に転属し、徳島線などで使用された。名古屋鉄道局に残った3両は名古屋機関庫で入換用に使用されていた。 1935年(昭和10年)には、四国にも8620形が配置されるようになり、5両 (6250, 6251, 6261, 6262, 6265) は仙台鉄道局の白山機関庫に移って越後線で使用され、6258, 6259は名古屋鉄道局の稲沢機関庫に戻って、6254 - 6256とともに入換用となった。 1937年(昭和12年)から1942年(昭和17年)にかけて5両 (6251 - 6253, 6257, 6260) が東武鉄道の輸送力増強用に譲渡されて同社のB6形 (60 - 64) となり、その後の移動で、6両 (6250, 6255, 6256, 6258, 6262, 6263) が松本機関区に移って大糸南線で使用された。 廃車は、1937年から始まり、1950年(昭和25年)3月までに全機が除籍された。譲渡は前記の東武鉄道への5両のほか、羽後交通横荘線に譲渡された6265がある。この機関車は、1946年に借受けていたものを1948年(昭和23年)に譲受けたもので、1951年(昭和26年)12月まで使用された。
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