標準化改造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/07/31 14:45 UTC 版)
「国鉄デハ6260形電車」の記事における「標準化改造」の解説
本形式は、後に製造された標準型に比べ、特殊な形状であったため妻面の角型化、出入り台側面への折戸の追加(後年引戸化)、中央扉の踏み段撤去などの標準化が行われた。これらの標準化は、1920年(大正9年)10月から1921年(大正10年)5月までの間に実施された。当初は制御器が直接式であったものも、1919年(大正8年)度までに総括制御可能な間接式に交換されている。
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標準化改造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/29 15:06 UTC 版)
「国鉄デハ6285形電車」の記事における「標準化改造」の解説
標準化改造については、1920年(大正9年)8月から翌年3月にかけて、火災で廃車となった4両を除く8両に対して実施された。この際、前後の客用扉(開き戸)が引戸に改められ、中央扉の自動踏み段も撤去された。妻の三面折妻形状については、後退角がごくわずかであることもあって、折妻のまま存置された。
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標準化改造
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「国鉄デハ6250形電車」の記事における「標準化改造」の解説
鉄道院最初の電車だったこともあり、本形式は後続の形式と比して著しく異なる構造を持っており、早期に改造の対象となった。まず、モニター屋根側面に設けられた明かり取り窓を潰して片側4か所に水雷形通風器が設けられた。さらに、開放式だった出入り台側面に折戸が設置され、出入り台と客室の間の引戸が撤去された。1914年(大正3年)から翌年にかけて直接式制御器を総括制御が可能な間接式に交換し、トロリーポールをモニター屋根上に移設した。 1920年(大正9年)7月から9月にかけて、妻形状が切妻に変更されるとともに、前後の出入り台の折戸が引戸に改造され、中央部に引戸が追設されて片側3扉となり、台車も釣り合い梁式の明治45年標準形に交換されて、原形からはかけ離れた形状となっている。
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