造像・刻字の年代とは? わかりやすく解説

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造像・刻字の年代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/20 20:54 UTC 版)

法隆寺金堂薬師如来像光背銘」の記事における「造像・刻字の年代」の解説

1935年福山敏男論文法隆寺金石文に関する二、三問題」(『夢殿13号)において、本銘文中にある薬師如来像の造像・刻字の年代・607年否定しているが、その根拠一つ銘文中の「天皇」の語を挙げ、「推古朝在位593年 - 628年)にはない事でそれ以後ものらしく、」と指摘している。推古朝には本銘文の他、天寿国繡帳銘文など天皇号史料多く存在するが、西野誠一はその福山の説に次のように賛同している。「推古朝には多数天皇号史料遺例があるが、次の舒明朝より斉明朝に至る40年近くの間、その史料が全くなく、続く天智以降はまた存在している。舒明朝から斉明朝の間のみ天皇号史料断絶するという不自然なその事実は、推古朝においてそもそも天皇号存在しなかったことを暗示している。(趣意)」(#天皇号の成立年代参照)。 また、福山は同論文において、「薬師信仰天武朝在位673年 - 686年)に入ってから日本もたらされたと考えられることから、薬師如来像及び光背銘の年代は、推古朝はるかに降り天武朝以降のものと考えられる。」と述べている。これについて上原和は、「607年当時薬師信仰それほど盛んではなかった。薬師寺創建680年)のころが薬師信仰盛んなときである。(趣意)」と述べ福山の説を支持している。 その後福山薬師如来像彫刻様式や本銘文書風などの側面から否定説補強している。彫刻様式について上原和は、「薬師如来像顔立ち金堂釈迦三尊像細面比べるとかなりふくよかである。飛鳥仏の特徴は「痩」、白鳳仏の特徴は「肥」であることから、現存薬師如来像白鳳文化様式のものである。(趣意)」と述べている。銘文書風について魚住和晃は、「これらの書法にはすでに隋唐書法影響見られ実際作製年代7世紀末期までに下げられよう。」と述べている(#書体・書風参照)。 1979年奈良国立文化財研究所(現・奈良文化財研究所)は『飛鳥白鳳在銘金銅仏』を刊行しその中で、「薬師如来像金銅製であるが、その金鍍金刻字の内に及んでいないことから、鋳造刻字同時ではなく鍍金後の刻字であることが判別された。(趣意)」と発表した。これを受けて沖森卓也は、「(本銘文は)推古朝の製作とは判断できないのであることが明らかになった。」と述べている。 以上のことから、薬師如来像の造像・刻字の年代は7世紀後半、つまり法隆寺再建時に新たに造像され、その後追刻されたとの説が有力である。また、大山誠一は本銘文成立時期を、上限持統朝、下限天平19年747年)としている(1996年)。上限の根拠持統朝が初め天皇号採用したこと、下限は『法隆寺伽藍縁起并流記資財帳』(747年成立)に薬師如来像記録があることによる

※この「造像・刻字の年代」の解説は、「法隆寺金堂薬師如来像光背銘」の解説の一部です。
「造像・刻字の年代」を含む「法隆寺金堂薬師如来像光背銘」の記事については、「法隆寺金堂薬師如来像光背銘」の概要を参照ください。

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