造作説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 12:55 UTC 版)
入諏神話は史実を反映しているという説は今やほぼ定説となっているが、中世に流布していた他の説話に影響された、あるいは中世説話をもとにして創作されたのではないかという意見も近年になって現れている。 井原今朝男(2008年)は、中世の頃には『古事記』や六国史は安易に講読できない史料であったことから、中世前期の文献に見られる「諏訪縁起」は『古事記』や『日本書紀』の影響なしに新たに編纂されたものであるという。 青木隆幸(2012年)は、入諏神話は諏訪の神に「軍神」という新たな性格が追加された際(平安末期以降)に作られたという説を挙げており、この説話を考古学的知見と結びつけようとする見解を批判している。 『信重解状』における入諏神話に洩矢神が「守屋大臣」として出てくる。また、『神氏系図(前田家本)』序文にも諏訪明神と初代大祝が「守屋」と争ったのは用明天皇の時代であったとあるが、これは丁未の乱が勃発した時代と符合する。このことから、入諏神話は中世に広く流布していた聖徳太子にまつわる伝承の影響を受けている、あるいは聖徳太子伝説をもとにして造作されたという説が挙げられている。
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