諏訪縁起(諏方系)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/12 14:03 UTC 版)
「甲賀三郎 (伝説)」の記事における「諏訪縁起(諏方系)」の解説
神道集「諏訪縁起の事」では、甲賀三郎伝説は以下のように語られている。 近江国甲賀郡に住む安寧天皇から5代の孫の甲賀権守諏胤(よりたね)という地頭が惣追捕使として東国の33ヶ国を治めた。大和国添上郡の地頭・春日権守の長女を娶り3人の子(太郎諏致・次郎諏任・三郎諏方)をもうけた。 70歳余になった諏胤は病床に三男の三郎諏方(よりかた)を惣領として東海道15ヶ国の惣追捕使の職を与え、長男の太郎諏致(よりむね)に東山8ヶ国、次男の次郎諏任(よりただ)に北陸道7ヶ国の惣追捕使に任命する。諏胤は亡くなり、35日の塔婆供養の3日後に奥方も亡くなる。 三郎が父の三回忌の後に三笠山明神に参詣したとき、春日権守の孫娘・春日姫と契りを結び、ともに甲賀郡へ帰った。ある日春日姫は伊吹山で天狗にさらわれて行方不明になったため、三郎は兄たちとともに全国の山々を巡る。最後に信濃国にある蓼科山の人穴の底に姫を見つけ、助け出した。しかし姫が忘れた鏡を取りに三郎が穴に戻ると、次郎が裏切って綱を切ったため、穴に取り残された。三郎は仕方なく人穴を彷徨い、地底の72ヶ国を通り、最後に維縵(ゆいまん)国に辿り着く。三郎は維縵国の王・好美翁の末娘である維縵姫と結ばれて、国の風習に従って毎日鹿狩りをして過ごす。一方、次郎は春日姫を自分の妻にして三郎に代わって政治を行い、甲賀の舘を占拠した。春日姫は次郎に従おうとしなかったため、次郎は逆上し家来に春日姫を切らせることにしたが、春日姫は乳母の妹婿に助けられて祖父のもとへ送り届けられる。 13年6ヶ月後、春日姫の事を思い出した三郎は地上に帰ることを決意する。これを受け入れた維縵姫は彼の後を追って忍び妻(隠し妻)となると言った。国王から頂いた鹿の生肝で作った餅を1日1枚ずつ千枚を食べながら地上に向かい、信濃国の浅間山に無事帰ることができた。三郎は甲賀に戻ったが、体が蛇になっていたことを知り、父の為に造った笹岡の釈迦堂の仏壇の下に身を隠した。すると甲賀三郎の物語を語る僧たち(正体は白山権現、富士浅間大菩薩、熊野権現などの神々)の口から蛇身を逃れる方法を聞く。僧たちに言われる通りにした三郎は人間の姿に戻り、春日姫と再会した。2人は震旦国の南にある平城国に行って「早那起梨の天子」より神道の法を授かって神通力を会得した後、日本に戻って蓼科山に到着する。岡屋の里に立った三郎は諏訪大明神の上宮(諏訪大社上社)、春日姫は下宮(諏訪大社下社)として出現した。(「諏訪(すわ)」という名称は三郎の実名である「諏方」から来ているという。)維縵姫も後に地上にやって来て、春日姫に歓迎されて浅間大明神となる。甲賀三郎と兄たちは近江国の鎮守・兵主大明神が仲裁し、太郎が下野国宇都宮の示現大明神、悔悟した二郎が若狭国の田中明神、父が赤山大明神、母が日光権現として顕れ物語は終了する。
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