伝説の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/12 14:03 UTC 版)
鎌倉時代には諏訪上社の大祝を務めた諏訪氏(神氏)が武士化して北条得宗家の御内人となり、諏訪大社が鎌倉幕府の庇護を受けるにつれて諏訪信仰が全国に広まり、軍神として多くの武士から信仰を集めた。諏訪氏の始祖が8歳の時に諏訪明神(建御名方神)に自分の生ける神体として選ばれたという伝承から、大祝代々は現人神、すなわち諏訪明神の後裔で明神そのものとして崇敬された。諏訪氏がこれを利用して権力を振るい、諏訪神党と称される武士団を形成していく。しかし、幕府滅亡後に起こった中先代の乱で諏訪氏の権威は失墜し、カリスマ性を失った大祝から氏人は離れた。この時代には大祝家直伝の縁起譚ではなくもっと在地の風景に根付いた縁起が求められた影響で、各地に諏訪氏や大祝とは絡みのない新たな「諏訪縁起」が同時多発的に発生した。諏訪の神を武士として描く甲賀三郎伝説はその中の一つである。 当時は『古事記』や六国史は安易に講読できない史料であったため、中世前期の諏訪縁起は記紀神話の影響なしに新たに編纂されたものである。実際には『先代旧事本紀』に書かれている建御名方神の説話を諏訪大社の正式な縁起として採用する文献は『諏方大明神画詞』(1356年)が初めてである。
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