直木孝次郎による再検討とは? わかりやすく解説

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直木孝次郎による再検討

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 14:15 UTC 版)

三韓征伐」の記事における「直木孝次郎による再検討」の解説

直木孝次郎津田分析継承して昭和341959)年4月に「神功皇后伝説の成立」を『歴史評論』に104号に発表した直木は、4世紀末に倭国新羅攻撃した歴史的事実と、神功皇后による新羅征討伝承一致することや、また津田継体朝や欽明朝成立説では説明できないこと少なからず存在することを指摘したうえで、6世紀以降、特に推古天皇以降史実との関係が深いことから、この頃伝承形成されたとしている。 高句麗戦争伝承との関連 直木は、応神天皇期に大和政権新羅圧倒したことは事実また定説であり、神功皇后伝説史実無関係論ずることはできないが、新羅征伐記事高句麗との戦争記載されていないことに着目して次のように考察した倭国高句麗戦争したことは広開土王碑文などから史実であるが、だとすれば記紀における新羅征討箇所で、高句麗について記載がない、またはほとんど問題とされていないことは不自然である。4世紀末に倭国新羅侵攻行ったことは事実であるが、当時倭国最大強敵高句麗であったし、4世紀末から5世紀初頭における半島進出伝承として記載されるであれば、「建国まもない弱小新羅対す勝利よりも、強大勇武高句麗との決戦物語伝承されるのが当然ではなかろうか」とし、新羅征討のみが伝承されたことと、高句麗との決戦伝承されなかったことに着目し三韓征伐記述成立した背景について直木は、「5世紀末期以来新羅強大になり、日本半島支配動揺してきたため、日本半島における支配権、とくに新羅対す優越性歴史的に基礎づける必要」が出て来たとした。 神功皇后実在性 また、神功皇后実在性について神功皇后仲哀天皇死後政治軍事実権握り応神天皇出産したあとも、政権中心にあったと記録されているが、推古天皇即位以前このような女帝登場する例がないことなどから、推古時代以降女帝モデルとして構想されたのではないかという説を提唱したまた、神功皇后自らが軍を指揮している点については、7世紀中葉斉明天皇百済救援新羅攻撃のために北九州出征したことが唯一の例であり、不自然であるとも指摘している。 このように直木は、新羅打倒について6世紀以来朝廷内部存した願望原動力となって新羅征討物語になったとする。また、日本による新羅支配正当性根拠づけるためにも、征討に際して出征する将士士気を鼓舞するために、対新羅関係の険悪となった推古朝および斉明天智朝の現実要求が、物語形成促進したとし、津守氏住吉神社香椎宮など様々な伝承加えた主張している。三韓征伐説話は、新羅日本朝貢していたことや、日本朝鮮半島闘った記憶女帝斉明天皇新羅遠征のために筑紫朝倉宮まで行幸した故事元に創作・脚色されたものとしている(上田正昭直木孝次郎説)。 この直木による仮説解釈については、井上光貞が同昭和34年刊行された『真説日本歴史 二巻 万葉世の中』の座談会において批判したその後藤間生大米沢康、岡本堅次、吉井良隆、二宮正彦、塚口義信研究続いた

※この「直木孝次郎による再検討」の解説は、「三韓征伐」の解説の一部です。
「直木孝次郎による再検討」を含む「三韓征伐」の記事については、「三韓征伐」の概要を参照ください。

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