直木賞の選評
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 07:27 UTC 版)
『火垂るの墓』と一緒に受賞し、審査員の評価は総じて高いもので、反対派はいなかった。 海音寺潮五郎は、「大坂ことばの長所を利用しての冗舌は、縦横無尽のようでいながら、無駄なおしゃべりは少しもない。十分な計算がある。見事というほかはない」と評し、「前者(アメリカひじき)に使われている材料はぼくの好みではないが、描写に少しもいやしさがなく、突飛な効果が笑いをさそう。感心した」と述べている。 川口松太郎は、「直木賞作家の本命とはいい難く、君の技量は逆手だ。文章のアヤの面白さに興味があって事件人物の描写説得は二の次になっている」とし、「野坂君が独特の文体の上に、豊かな内容をもり込む作家になってくれたらそれこそ鬼に金棒だ」と助言をしている。 大佛次郎は、「この装飾の多い文体で、裸の現実を襞深くつつんで、むごたらしさや、いやらしいものから決して目を背向けていない」と述べ、「作りごとでない力が、底に横たわって手強い。この作家の将来が楽しみである」と評している。石坂洋次郎は、「こう短くきれぎれに書かないで、この題材で長篇を書かれたら――と残念に思った」、「ともかく多才の人であり、底に手ごたえのあるものを感じさせる作家だ」と評している。 中山義秀は、「文芸作品はつねに時代を、最も敏感に反映する、とされているとおり、(中略)異色ある文体に、シニカルな老練さを味わった」と評している。村上元三は、「『火垂るの墓』よりも、『アメリカひじき』のほうがわたしには面白かった。はじめは取っつきにくく、気障なとまで思った文章も、こうなると芸のうちであろう」と評価している。
※この「直木賞の選評」の解説は、「アメリカひじき」の解説の一部です。
「直木賞の選評」を含む「アメリカひじき」の記事については、「アメリカひじき」の概要を参照ください。
直木賞の選評
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 04:04 UTC 版)
『アメリカひじき』と一緒に受賞し、選考委員の評価は総じて高いもので、反対派はいなかった。 海音寺潮五郎は、「大坂ことばの長所を利用しての冗舌は、縦横無尽のようでいながら、無駄なおしゃべりは少しもない。十分な計算がある。見事というほかはない」と評し、「後者(火垂るの墓)の結末は明治調すぎて、古めかしすぎて乗って行けなかったが、自伝的なものがありそうだから、こうせざるを得なかったのであろう」と述べている。 水上勉は、「出来がよく、野坂氏の怨念も夢もふんだんに詰めこまれて、しかも好短篇の結構を踏み、完全である。感動させられた」と述べ、松本清張は、「私の好みとしては『アメリカひじき』よりも『火垂るの墓』をとりたい。だが、野坂氏独特の粘こい、しかも無駄のない饒舌体の文章は現在を捉えるときに最も特徴を発揮するように思う」と評している。 川口松太郎は、「直木賞作家の本命とはいい難く、君の技量は逆手だ。文章のアヤの面白さに興味があって事件人物の描写説得は二の次になっている」とし、「野坂君が独特の文体の上に、豊かな内容をもり込む作家になってくれたらそれこそ鬼に金棒だ」と助言をしている。 大佛次郎は、「この装飾の多い文体で、裸の現実を襞深くつつんで、むごたらしさや、いやらしいものから決して目を背向けていない」とし、「作りごとでない力が、底に横たわって手強い」と評している。柴田錬三郎は、「さまざまの話題をマスコミにまきちらし乍ら、とにもかくにも、文壇へふみ込んで来たその雑草的な強さは、敬服にあたいする。私は、『火垂るの墓』に感動した。劇作者的文章が、悲惨な少年少女の最後を描いて、効果をあげたことは、われわれ実作者に深く考えさせるところがあった」と高い評価をしている。
※この「直木賞の選評」の解説は、「火垂るの墓」の解説の一部です。
「直木賞の選評」を含む「火垂るの墓」の記事については、「火垂るの墓」の概要を参照ください。
- 直木賞の選評のページへのリンク