直末・直盛兄弟とその末裔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/30 07:54 UTC 版)
宣高の孫(直高の子)の一柳直末・一柳直盛兄弟が豊臣秀吉に仕えた。 兄の直末(伊豆守)は美濃国の軽海西城主となったが天正18年(1590年)小田原征伐のときに、緒戦の山中城攻めで戦死した。後年、一柳一族はこの直末の顕彰をたびたび行っていくことになる。 弟の直盛(監物)は尾張国(今の愛知県西部)黒田城3万石の領主となり、関ヶ原の戦いでは東軍に属して伊勢国(三重県)神戸藩5万石に加増転封された。更に寛永13年(1636年)には伊予国西条藩6万8600石に移転することとなった。祖先河野氏の故地である伊予への移転を望んでこれが認められたとされるが、同年に新領地に赴く途中の大坂で病没した。 直盛の遺領は直重・直家・直頼の3人の息子たちによって分割された。昭和初期に『一柳家史紀要』を編纂した一柳貞吉(後述)は、大名となった直盛の息子3人の家を「一柳三家」としている。
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