直木賞受賞までの経緯とは? わかりやすく解説

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直木賞受賞までの経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 03:21 UTC 版)

佐藤愛子 (作家)」の記事における「直木賞受賞までの経緯」の解説

初婚破れた佐藤愛子は、資産家の子息である田畑麦彦再婚し一女設けた田畑麦彦は、そもそも新人賞クラス小説家であったが、結婚後は、事業家としての活動力を入れるようになっていった。 その事業だが、いっとき軌道に乗ったようにも思えたが、田畑の、ある意味特殊な金銭感覚が禍して、結局は大きな借財抱えるに至る。 佐藤愛子は、その田畑麦彦離婚をする。田畑自身説明によれば 、「借金火の粉が妻に降りかからないための偽装離婚」のはずだった。 だが、いざ離婚してみると、その直後田畑は、銀座飲食店経営する女性と、ちゃっかり入籍していた。それでも人のいい佐藤愛子は、元夫莫大な借金返すために、身を粉にして働き続ける。 全国テレビ局ワイドショーご意見番から、作家としての本来の仕事まで、馬車馬のように走り続けた。そんな状況下で一気書き上げた小説戦いすんで日が暮れて』が、直木賞受賞する1969年佐藤愛子45歳のときであった作品は、文庫本50ページほどの短編小説だ。主人公「私」が、元夫借金返済のために東奔西走するという、実話をもとにした、奮戦記である。以下がそのラストシーン桃子というのは、主人公愛娘。 ―― 暮れなずむ空の下で渓流のように車が走っていた。歩道橋上って南の方を眺めると、既に暮れた鼠色の町の果からヘッドライトをつけた車が際限もなく湧き出して来て、まるで無人車のように機械的な速度まっしぐら走りあっという間に足の下に消え去る警笛人声聞えぬ、ただ轟々と一定の音のかたまりが、環状七号線ゆるがしている。 「うるさいぞオーッ、バカヤローッ!」突然、私は歩道橋の上から、叫んだ。「桃子、あんたもいってごらんよ」桃子喜んで真似をした。「バカヤローッ、うるさいぞオーッ」私と桃子の声は轟音中に消えた。私はどなった。 「いい気になるなったら、いい気になるなーッ」車は無関心に流れていた。沿道水銀灯ともった轟々と流れる車の川の上で、私と桃子は南の方を向いて立っていた。終 ―― (『戦いすんで日が暮れて佐藤愛子著より抜粋) バカヤローッ、という台詞読者鮮烈な印象与える。 その後も、佐藤愛子は、多く作品書き数々の賞も受賞している。だが、この『戦いすんで日が暮れて』が、彼女のもっとも素晴らし作品である、と評する識者がいる。「なんといってもその文章勢いがある」、というのが、この識者視点である。 佐藤愛子は、本当は、友人である芥川賞作家 北杜夫の『楡家の人びと』ような大作書いて世に出ることを青図描いていた。つまり、直木賞受賞に関しては、「ちょっと待った」というのが、佐藤愛子本音であった。 以上が、直木賞作家 佐藤愛子誕生経緯である。

※この「直木賞受賞までの経緯」の解説は、「佐藤愛子 (作家)」の解説の一部です。
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