継体とは?

けい‐てい【継体】

けいたい(継体)


けい‐たい【継体】

天皇の位を継ぐこと。けいてい

十三代成務まで—正道のままにて」〈愚管抄・三〉


けい‐たい【継体】

〔名〕 君主の位を受け継ぐこと。あとつぎ。よつぎ。継嗣けいてい

続日本紀延暦元年782八月己巳是以。継体之君。受禅之王」〔史記外戚世家


けい‐てい【継体】

〔名〕 =けいたい(継体)〔色葉字類抄(1177‐81)〕

平松家平家13C前)八「彼は守文継体(ケイテイ)の器量たり、此は万機輔佐の臣相あり」


継体天皇

(継体 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 09:03 UTC 版)

継体天皇(けいたいてんのう、450年?〈允恭天皇39年〉 - 531年3月10日?〈継体天皇25年2月7日〉)は、日本の第26代天皇[1](在位:507年3月3日?〈継体天皇元年2月4日〉 - 531年3月10日?〈継体天皇25年2月7日〉)。


注釈

  1. ^ 先帝とは2親等以上離れて即位した最初の天皇は仲哀天皇(先帝は叔父・成務天皇(父・日本武尊の弟))とされている。
  2. ^ 『古事記』では485年。
  3. ^ 上宮記では、弥乎國高嶋宮(みをのくにのたかしまのみや)。
  4. ^ 『日本書紀』によれば、「妊婦の腹を切り裂いて胎児を見た」、「人を木に登らせて弓矢で射落とした」、「池に人を入れて矛で突き殺した」など数多くの悪行が書かれており、「頻りに諸悪を造し、一善も修めたまはず(悪い事ばかりを行い、一つも良いことを行わなかった)」と評されている。
  5. ^ 上哆唎(おこしたり)、下哆唎(あるしたり)、娑陀(さた)、牟婁(むろ)の四県。これが現代のどの地方に当たるかについては、全羅南道にほぼ相当するという説と、南東部であるという説が存在する[9]
  6. ^ 後の欽明朝初期にこの四県割譲が問題となり、責任を問われた金村が失脚している。
  7. ^ この「凡牟都和希王」を「ホムツワケ」と読んで、応神天皇ではなく垂仁天皇の第一皇子である誉津別命(ほむつわけのみこと)とする説もある。しかし系譜上の始祖には天皇を据えるのが普通であり、母系の始祖には垂仁を据えているにも拘らず父系には書かないというのは不可解である。また父母が共に世代の異なる垂仁の子孫ということになるため、やはり不自然といえる[13]
  8. ^ 「古事記」や「日本書紀」には、彦主人王と振姫という継体の両親の名前は記されていますが、応神からの間の人名が、はぶかれています。それが「上宮記一云」にはすべて記されているという点で、貴重な史料であるというふうに言えます。ただ、この「上宮記一云」があるからと言って、本当にこれがすべて事実なのか?どうかという点はまだ検討の余地があろうかと思われます。「継体大王とその時代」 枚方市文化財研究調査会 和泉書院 P170
  9. ^ ただし、『書紀』は「一本に曰く、七年なりと」と注釈を付けている。
  10. ^ 従前葛城氏は5世紀末の雄略朝に滅んだという説が通説であったが、近年ではこの時滅んだのは玉田宿禰系統の葛城氏であり、葦田宿禰系の葛城氏は衰弱しながらもそれなりの勢力を保って存続したと考える説が有力となっている。
  11. ^ 「日本書紀」の表現は王朝の終わりに暴君が現れ、これに代わって有徳の王が新王朝のを創始する、という儒教の革命思想によって造作されたものと推定されている。「応神五世孫」という遠い傍系の継体が即位したことを正当化するために、その前の武烈をことさら暴君に描いているのである。「謎の大王 継体天皇」 水谷千秋 p64 文藝春秋
  12. ^ 現在は断絶している王朝、および伝説を含めるのであれば、メネリク1世からハイレ・セラシエ1世に至るエチオピアの皇朝が3000年続いたとされる。
  13. ^ 銅鏡は長年東京国立博物館に寄託されているが、所有者は隅田八幡神社である。
  14. ^ 「男弟王」の語は『魏志倭人伝』にも見られ、邪馬台国の女王卑弥呼を佐治した弟を指すために使われている。意富富杼王は忍坂大中姫の兄だが、允恭よりは年下なのでこう記したと考える。

出典

  1. ^ 謎多き古代天皇、福井に残る痕跡 朝鮮との結びつきも”. 朝日新聞デジタル (2020年4月15日). 2021年2月12日閲覧。
  2. ^ 天皇〈125代〉の歴史 山本博文 2018年 西東社 p25
  3. ^ 井上 1973, p. 451.
  4. ^ 直木 2009, p. 4.
  5. ^ 水谷 2001, p. 73.
  6. ^ 『古事記』継体即位記
  7. ^ 日本書紀 継体即位条
  8. ^ 『日本書紀』巻第十七、継体天皇元年正月6日条
  9. ^ 田中 2009, p. 80.
  10. ^ 直木 2009, p. 138.
  11. ^ (高槻市教委 2008)P153-154 水野正好による論考。
  12. ^ 安本 1999, p. 195.
  13. ^ 水谷 2001, p. 92.
  14. ^ 黛 1982.
  15. ^ 日本の歴史〈1〉神話から歴史へ (中公文庫) 文庫 p489
  16. ^ 水谷 2001, p. 21.
  17. ^ 直木 2009, p. 185.
  18. ^ (水谷 2001)P130
  19. ^ (水谷 2001)P130-132
  20. ^ 直木 2009, p. 134.
  21. ^ 中野 2015.
  22. ^ 水谷 2001, p. 135.
  23. ^ (水谷 2001)P167-172
  24. ^ 新修亀岡市史 本文編 第1巻 & 1995年, pp. 302-312.
  25. ^ 倭彦王(古代氏族) & 2010年.
  26. ^ 平林章仁 『天皇はいつから天皇になったか?(祥伝社新書423)』 祥伝社、2015年、pp. 59-61。
  27. ^ 水谷 2013, p. 237.
  28. ^ (高槻市教委 2008)P52-54 和田萃による論考。
  29. ^ a b 三尾別業(平凡社) & 1991年.
  30. ^ (水谷 2013)P16
  31. ^ (高槻市教委 2008)P151-152 水野正好による論考。
  32. ^ (水谷 2013)P17
  33. ^ "橋の石材、「真の継体天皇陵」の石棺か 高槻の歴史館発表「大王のひつぎの実態に迫る発見」"(産経新聞、2016年11月10日記事)。




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