セルビアにおける伝承とは? わかりやすく解説

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セルビアにおける伝承

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 04:27 UTC 版)

ミロシュ・オビリッチ」の記事における「セルビアにおける伝承」の解説

セルビアにおけるコソヴォ伝説の中で、ミロシュ・オビリッチ主要な英雄一人として知られている。この伝によればミロシュセルビア君主ラザル・フレベリャノヴィチ義理の息子(婿)だったのだとされている。大まかな筋は、次のとおりである。ミロシュの妻、すなわちラザルの娘と、その姉妹でヴク・ブランコヴィチ(英語版)の妻との間に、どちらの夫が勇敢かをめぐって喧嘩起きたその結果、ブランコヴィチはミロシュ敵対し戦う道を選んだ憎悪駆られたブランコヴィチはラザル告げ口しミロシュラザル裏切ってトルコ人組もうとしていると讒言したコソヴォの戦い前夜ラザル夕食の席で、ミロシュ不忠者であると咎めた。そこでミロシュ自身忠誠心証明するべく、脱走装ってオスマン帝国陣営向かった。機を見計らってミロシュオスマン帝国スルタンであるムラト1世刺殺し、自身スルタン近侍の者たちにより処刑された。伝説語りは、ここからコソヴォの戦い戦闘描写へと移っていく。 コソヴォ伝説を生みだした源流については、コソヴォの戦い実際に起きた現地にあるという説と、バルカン半島内のより西方フランス武勲詩影響受けて生まれたのであるとする説がある。セルビア文献学者ドラグティン・コスティッチは、フランス騎士道叙事詩コソヴォ伝説の成立には一切かかわっておらず、「単に、すでに生み出されていた伝説とその初期の詩表現を『補正』しただけ」なのだと主張している。コソヴォ伝説中核をなしているのは、1389年から1420年にかけてモラヴァ・セルビアで書かれた、ラザル殉教者聖人として称賛する聖人崇敬文学群である。中でも特に重要なのが、セルビア総主教ダニーロ3世著したラザル賛歌』である。15世紀になると、徐々に伝説形作られていった1430年代にコンスタンティン・コステネツキ(英語版)が著した専制公ステファン・ラザレヴィチの生涯』には、すでにコソヴォの戦いオスマン軍陣営侵入しムラト1世殺害した英雄の姿がある。ただしここでは、その英雄の名は明らかにされていない。「ラザルの婿同士確執」というテーマは、15世紀半ばヘルツェゴヴィナ初め現れた。16世紀文献では、ラザル戦闘前夜晩餐ミロシュ咎めた話が現れてくる。マヴロ・オルビーニ(英語版)の1601年著作では、ラザル娘たち自身の夫の勇敢ぶりを張り合う物語初め登場する。これらの要素すべてを包含してコソヴォ伝説完成見たのが、18世紀初頭コトル湾もしくはスタラ・ツルナ・ゴラ(英語版近辺編まれた『コソヴォの戦い物語』である。この文献は非常に広く人気博しコピー以後150年わたって繰り返し発行され、旧ユーゴスラヴィアの南辺からブダペストソフィアにいたるまで伝わっていった。また『物語』は、18世紀初頭以降ハプスブルク帝国内のセルビア人の間に民族意識呼び起こすのにも重要な役割担ったムラト1世暗殺犯全名始めて記したのが、1497年ごろに成立したイェニチェリ回顧録』(『トルコの歴史あるいは年代記』とも)である。著者のコンスタンティン・ミハイロヴィチ(英語版)は、ルドニク山(英語版)に近いオストロヴィツァ出身の、セルビア人イェニチェリだった。彼はコソヴォにおけるセルビア敗北から「背信」にまつわる教訓引き出文脈の中で、「ミロシュ・コビツァ」という騎士が、戦闘の中でムラト1世殺した、と述べている。次にムラト1世殺害者の名に言及しているのが、スロヴェニア人修道僧ベネディクト・クリペチッチ(英語版)が1530年記したバルカン半島旅行回顧録である。クリペチッチはコソヴォ・ポリェにあったムラト1世の墓を訪ねた時について語る際、「ミロシュ・コビロヴィチ」という騎士物語紹介している。クリペチッチは、ミロシュ戦前侮辱を受けラザルの寵を失っても耐え忍んだこと、ラザルや他の貴族たちとの最後の晩餐ムラト1世天幕への進入残忍な殺人、そして馬に乗って逃げようしたもの避けられなかった己の死、というミロシュ物語念入りに練り上げている。ただクリペチッチは自身物語出典明らかにせず、ただセルビア人ミロシュ伝統的に称え、その英雄的な策略を歌に歌っているとだけ記してる。またクリペチッチは他にもコソヴォの戦い伝説記録しボスニアクロアチアなどコソヴォから遠く離れた地で伝わるミロシュ歌について言及している。イングランドの歴史家リチャード・ノールズ(英語版)は1603年著作セルビア人の間で伝わる「郷土歌」(英語版)を紹介しており、その中でミロシュを「コベリッツ」(Cobelitz)と呼んでいる。 セルビア叙事詩や歌(『ラドゥル・ベイとブルガリアの王シシュマン』『ドゥシャンの婚礼』など)では、ミロシュ・オビリッチカラジョルジェヴク・カラジッチペータル2世ペトロヴィチ=ニェゴシュ(英語版)らの文学作品同様に素晴らし道徳知性持ったかつてのディナル起源を持つセルビア人一人と見なされており、同時代そのような評価持ちえないブルガリア人対照的な存在とされている。『オビリッチ、ドラゴンの子』という詩では、彼はドラゴンの息子とされ、身体的に精神的に超人的な力を有していたと強調されている。この詩の中でミロシュは、他のセルビア叙事詩登場する様々なセルビア英雄たちの戦列に加わる。彼らも同じくドラゴンの子孫であり、トルコ人戦った者たちであるとされている。 セルビア叙事詩中にはミロシュ・オビリッチ義兄弟契り結んだ者が登場することがある相手は話によってさまざまで、ミラン・トプリツァ(英語版)とイヴァン・コサンチッチ、またはマルコ・ムルニャヴツェヴィチ(英語版)、またはユゴヴィチ兄弟英語版)といった名が挙げられている。

※この「セルビアにおける伝承」の解説は、「ミロシュ・オビリッチ」の解説の一部です。
「セルビアにおける伝承」を含む「ミロシュ・オビリッチ」の記事については、「ミロシュ・オビリッチ」の概要を参照ください。

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