セルビアの政治・宗教的独立
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「ステファン・ネマニッチ」の記事における「セルビアの政治・宗教的独立」の解説
1217年、ローマ教皇ホノリウス3世との交渉が実って王号を認められ、クラリェヴォのジツァ修道院においてネマニッチはサヴァから「全セルビアの王」として戴冠された。 その後サヴァはセルビア正教会設立の運動を開始するため、1217年(もしくは1218年)にアトス山に帰還した。翌1219年にコンスタンティノープル総主教より、サヴァはセルビア正教会の大主教に任命された。同年にサヴァによりローマ法に基づく民法と公会議の決定に基づく教会法で構成されたセルビア初の憲法『聖サヴァのノモカノン』(en:Zakonopravilo)が公布される。この法律は発展途上のセルビアの法制度を成文化し、教会組織を統制するために作成されたものであった。 ネマニッチの戴冠とセルビア正教会の設立により、セルビアは政治・宗教双方での独立を達成した。 憲法の公布後もサヴァはセルビアに留まって教育に力を注ぎ、他方で異端とされながらも政府から公認されていたボゴミル派の信仰を禁止する会議を招集した。サヴァの指導下からセルビア各地に旅立った聖職者たちは洗礼、結婚などの国民の生活において重要な役割を果たし、サヴァ自身も自らに課せられた宗教・社会的指導者としての義務を果たすために教育の旅を続行した。
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