戦闘前夜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/30 15:29 UTC 版)
1975年3月、北ベトナム軍は南ベトナム西部への攻勢を開始した。北ベトナム軍第3軍団は中部高原バンメトートを攻撃し、また北ベトナム軍第4軍団はタイニンとビンズオンの南ベトナム側軍事施設を攻撃した。過去3年間に比べ、西部の南ベトナム側防衛力は人員と物資の不足から大幅に弱体化しており、タイニンやビンズオンは南ベトナム側の防衛計画でも決して要地として扱われていなかった。しかし、それにも関わらず1975年初頭に敗走した部隊を元にする大規模な戦力が存在していた。タイニンには南ベトナム軍第25師団および4個機甲旅団、2個レンジャー大隊が退避しており、一方のビンズオンには南ベトナム軍第5師団と1個機甲旅団、1個レンジャー大隊が存在していた。これらの地点では敗残兵が集結して抵抗の再編成を図っており、北ベトナム側はこれを阻止するべく占領を決断したのである。 北ベトナム軍第4軍団司令部では最初の攻撃目標として、北西部における南ベトナム側防衛線の弱点と見なされていたザウティエン - チョンタイン間の地点を選んだ。この地点はタイニン、ビンズオン、ビンロンの3省と隣接しており、守備戦力として地方軍4個大隊(第35、第304、第312、第352大隊)と1個装甲旅団、そして10門の105mm砲が存在していた。ザウティエン - チョンタイン間への攻撃作戦では北ベトナム軍第9歩兵師団が主力を担い、北ベトナム軍第16歩兵連隊、第22戦車大隊、および1個砲兵大隊と1個防空大隊が支援にあたった。3月11日午前5時、北ベトナム軍第9歩兵師団はダウチェンに対する攻撃を開始した。北ベトナム軍第9歩兵師団に与えられた初日の攻撃目標はランナン、バウドン、チャラの南ベトナム側砲兵陣地であった。 同日午後、レ・グエン・カン将軍は救援の為に南ベトナム軍第345装甲中隊をバウドンから出撃させた。しかし同中隊はスオイオンフン近くで北ベトナム軍第16歩兵連隊に迎撃され撤退している。またバウドンとランナンの南ベトナム軍砲兵陣地は北ベトナム軍第9歩兵師団の攻撃に圧倒されており、有効な反撃が行えないままでいた。3月13日、北ベトナム軍はダウチェン一帯を完全に制圧する。この戦いの3時間後には北ベトナム軍の第3および第9歩兵師団の各部隊がボンチュイ、ガバサク、カウタウ、ベンクイなど各地の南ベトナム軍陣地を確保していった。南ベトナム軍第3旅団では、南ベトナム軍第5歩兵師団の戦力を利用したダウチェン奪還作戦を計画するが、チュー大統領はこれを中止させ、代わりにチュオンミト、バウドン、タイニンの防衛を命じた。 3月24日、北ベトナム軍第9歩兵師団から派遣された2個連隊とビンフォックで編成された2個民兵大隊が連携してチョンタンへの総攻撃を行なったが、南ベトナム軍守備隊によって撃退されている。3月31日、北ベトナム軍第4軍団は1個砲兵大隊(野砲15門)を含む北ベトナム軍第273連隊を北ベトナム軍第9歩兵師団の元へ増援として派遣する。これが到着すると北ベトナム軍第9歩兵師団は再びチョンタン攻撃に乗り出した。南ベトナム側は第3機甲師団をチョンタインの救援に向かわせたものの、同師団は国道13号線にて北ベトナム軍第9師団の一部による迎撃を受け足止めされてしまう。同時期、守備隊の一部として抵抗を続けていた南ベトナム軍第31レンジャー大隊が壊滅を避けるべく東方のバウドンまで撤退する。4月2日、チョンタインが陥落する。ベトナム当局は北ベトナム軍がこの戦いで2134人の敵兵を殺傷、472人を捕虜とし、16機の航空機を撃墜したと主張している。これに加えて30両の軍用車両(8両の戦車を含む)、およそ1000門の野砲(5門の旧型カノン砲を含む)などを鹵獲したという。そして、ビンロンを確保した北ベトナム軍は次の作戦目標としてスアンロクを選んだのである。
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