諏訪の龍蛇神とは? わかりやすく解説

諏訪の龍蛇神

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 12:55 UTC 版)

タケミナカタ」の記事における「諏訪の龍蛇神」の解説

昔から諏訪神社神体で、神使同じくであるといわれている。『諏方大明神画詞』の中で、諏訪明神やその眷属が龍、もしくはの姿を取るという逸話いくつか採り上げられている。『太平記』(巻三十九)にも、蒙古襲来時に、 都(すべ)て六十余州大小神祇霊験仏閣勅使を被下、奉幣を不被捧(ささげられず)と云所なし。如此(このごとく)御祈祷已(すで)に七日満じける日、諏訪の湖の上より、五色の雲西に聳(たなび)き、大蛇の形に見へたり。 と見えている諏訪の神が巨大なあるいは龍として登場する民話長野県群馬県などでは存在する。とある話によると、神無月神々出雲集ったとき、諏訪明神が龍()の姿で現れたが、体があまりにも大きすぎて集いの邪魔になったそれ以来明神出雲に行かなくなった。龍となった明神の尾は諏訪湖の高い木(尾掛)に掛かっていたといい、そこから大和(おわ、諏訪市)と高木下諏訪町)の地名生まれたという。 諏訪神社の龍信仰弘布大きな役割果たしたのは、『神道集』に収められた「諏訪縁起」(甲賀三郎伝説といわれるが、持統天皇時代から既に諏訪神社は「象徴動物とする水神」として中央政府認識されていた形跡も濃い。 中世まで行われた諏訪上社冬祭りでは、御室(みむろ)と呼ばれる竪穴住居らしき土室作られ、その中に、またはハンノキ作られ数体形が安置され翌春まで大祝がそこに参籠し、神長とともに祭事行った一説によると、「そそう神」と呼ばれるこの形は「祖宗神」、すなわち神氏祖霊としての諏訪明神をあらわす。 上社裏山にあるフネ古墳5世紀前半)に発見され蛇行剣諏訪信仰と関係があると思われる

※この「諏訪の龍蛇神」の解説は、「タケミナカタ」の解説の一部です。
「諏訪の龍蛇神」を含む「タケミナカタ」の記事については、「タケミナカタ」の概要を参照ください。

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