軍団の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 16:33 UTC 版)
軍団は大宝元年(701年)制定の大宝律令に規定されているが、いつ成立したかを直接記す史料はない。遅くみる説では大宝令となるが、もう少し早くみて持統天皇3年(689年)の飛鳥浄御原令によるとする説が有力なものとしてある。平時の軍団は国司により管理維持された。 国造軍と比べたときの軍団の特徴は、国家が兵士を徴兵し、軍事組織を維持し、地方民政機構からは分離したことの二点である。 兵士を国家が徴兵するためには、個々の住民を記載する戸籍を作成し、戸籍を利用して誰を兵士にするかを決定する必要がある。そのためには戸籍によって人民一人一人を把握できる体制が作られなければならない。戸籍の始まりは天智天皇9年(670年)の庚午年籍なので、これが有力な候補となる。庚午年籍は不十分なものだったとみて、持統天皇4年(690年)の庚寅年籍にあてる説もある。 国家が徴兵した兵士は、軍団に編成されることも可能だが、評(後の郡)を単位に部隊をなし、評の役人に率いられていたかもしれない。そういうものを大宝令以降の軍団と同じものと見るのは無理で、評制軍あるいは評造軍と呼ぶべきものとなろう。 軍団成立のもう一つの基準として軍毅の成立や評の関与の有無が着目される理由である。軍隊指揮用具と大型武器を私家におかず郡家(実際には評の役所)に収めることを命じた天武天皇14年(685年)11月4日の詔は、この時期に軍事指揮が評に握られていたことを推定させる有力な証拠である。それ以降となると、飛鳥浄御原令と大宝令が有力候補となる。
※この「軍団の成立」の解説は、「軍団 (古代日本)」の解説の一部です。
「軍団の成立」を含む「軍団 (古代日本)」の記事については、「軍団 (古代日本)」の概要を参照ください。
- 軍団の成立のページへのリンク