軍団の特徴
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軍団員はたけしを「師匠」でなく「殿」と呼ぶ。師匠と呼ばれることに抵抗を感じていたたけしが、萩本欽一が大将と呼ばれていることも考えて、1984年5月から「師匠」と呼んだ場合に罰金を取るようになり、「殿」と呼ばせることをたけしが決めた。当初はバカ殿と呼ばせていた。ただし、トーク番組で軍団員ではない司会者等の第三者に対しては「たけしさん」と呼んだり、芸能界引退後の東国原英夫は政治家として『TVタックル』などでたけしと共演した際は「師匠」と呼んでいる。 一軍であるたけし軍団内部に上下関係はなく横並びの関係で、軍団の形が出来た後に加入したグレート義太夫が敬語で喋っていたが、それ以外は年齢差や芸歴に関係なくタメ口だった。しかし軍団の人数が10人になり、さらに希望者が殺到するようになったため、ふるい落とすために希望者はダンカンの弟子の形で受け入れることとし、以後はダンカンが極端に上下関係を強いて、そこで認められた者のみがメンバーとして受け入れられるようになった。 たけし軍団にリーダーは存在しないが、初期には太田プロ所属のすがぬま伸が隊長格の役割を果たしていた。 年に一回、事務所(軍団)内で行われる酒席において年功序列が逆転する宴が催される。これによりたけしが最底辺の芸人となり、軍団メンバーからは(下部から上部へ)アゴでコキ使われ、雨あられの説教を受けるという逆転現象で盛り上がる余興がある。この宴会は、たけしが考案した宴会であり、師匠、弟子の垣根を取り払っての宴会は、元々、たけしの師匠である深見千三郎が、自分の事そっちのけで、弟子のたけしに酒を薦めるなど、師匠、弟子関係なく楽しむことを目的とした宴会を考えていたことを実行したものである。 先輩の軍団員は後輩の軍団員を居候させるという方針を取る。これは、まだ芸人として生計が立てられない後輩の軍団員の保護策として機能している。このような先輩が後輩の面倒を見る制度は、たけしが、師匠である深見千三郎に非常に気に入られ、たけしが深見から破門されても、深見がたけしの面倒を見るなど、芸人を長く続けるようにすべきという意図があった(たけしと深見との師弟関係及び、深見がたけしを破門した経緯については、ビートたけし及び深見千三郎を参照)。一例としてダンカンは結婚するまで、最大で6人の軍団員を居候させていた。なお、軍団員が結婚した場合は、後輩軍団員を居候させることは免除され、別の軍団員の家に預けられる。 変な芸名を付けられる。たけし曰く、芸人としてやっていく覚悟があるのかというたけし流の踏み絵の意図であり、同時に自分を安易に頼ってくる者を門前払いする脅しの意味があるのだという。ただし軍団員全員がたけしによる命名というわけではない。たけしとともに軍団に芸名の名付け親になっていた放送作家の高田文夫は、変な名前をつけるのは落語立川流の立川談志を見習っているからと語っている。 たけしが出演していない番組で、軍団員が多く出演する番組としては、『オールスター感謝祭』(島田紳助及び、今田耕司が司会。たけしも乱入という形で出演経験あり)があり、そのまんま東とガダルカナル・タカが総合優勝経験がある。たけしの出演している番組で共演する機会の多い人物としては、たけしの相方のビートきよし、放送作家の高田文夫、たけしの友人である島田洋七と言った人物と、たけしが出演しない番組では、島田紳助(2011年に芸能界引退)、タモリ、明石家さんまといったたけしとは比較的共演の多い人物と共演する傾向がある。
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