塔路上陸作戦とは? わかりやすく解説

塔路上陸作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 14:01 UTC 版)

樺太の戦い (1945年)」の記事における「塔路上陸作戦」の解説

ソ連軍は、第2期作戦一環として南樺太第2の都市である恵須取町に近い塔路上陸作戦を計画していた。そのため8月10日以降恵須取港と塔路港はソ連北太平洋艦隊航空隊攻撃目標とされていた。8月13日には魚雷艇カッターボートによる偵察が行われ、ほとんど守備兵力はないと判断された。上陸決行陸上侵攻連携して実施する予定だったが、アンドレエフ北太平洋艦隊司令官好機考えて8月16日の上陸を独断決めた恵須取町塔路町付近は、開戦時には歩兵第125連隊の1個中隊と若干後方部隊がいるだけだった安別へのソ連軍侵攻後、本斗安別線からの襲来の危険が生じたため、歩兵第25連隊正規1個中隊(機関銃小隊配属)と訓練中の初年兵1個中隊(山砲1門配属)などが8月14日増派されていた。そのほか特設警備301中隊豊原地区第8特設警備隊義勇戦闘隊(学徒600名と女子80名を含む)も召集されている。豊原地区司令部から出張中だった富澤健三大佐臨時指揮官任じられた。日本軍正規歩兵2個中隊を恵須取市街から内陸の上恵須取へ続く隘路配備して防衛線を張り特設警備301中隊のうち1個小隊義勇戦闘40人配属)を塔路飛行場破壊と塔路港守備充て残り住民避難援護のため恵須取市街置いた住民多くは上恵須取方面避難移り、塔路ではソ連軍上陸時に約20%だけが残っていた。なお、日本軍13日ソ連軍偵察隊本格上陸誤認し特設警備中隊射撃撃退成功した考えていた。 8月15日ソ連軍警備艦1隻・機雷敷設艦1隻・輸送船2隻・小艦艇多数を、ソヴィエツカヤ・ガヴァニから4波に分けて出撃させた。8月16日早朝、第365海軍歩兵大隊と第113狙撃旅団第2大隊が、艦砲射撃海軍機の援護下で塔路港に上陸開始した。塔路の町は焼失し守備の1個小隊壊滅した阿部庄松塔路町長(義勇戦闘隊長兼務)らは、恵須取支庁から終戦抵抗中止通知されソ連海軍歩兵との停戦交渉向かったが、武装解除住民呼び戻し要求され人質取られ、まもなく射殺された。上恵須取避難する民間人は、無差別な機銃掃射受けて死傷者続出した日本特設警備301中隊中垣重男大尉)は、初年兵中隊地区特設警備隊国民義勇戦闘隊警察隊などをかき集めて、塔路から続く道の恵須取山市入口布陣し避難民援護あたった中垣隊は、塔路から南下侵攻してきたソ連海軍歩兵2個中隊を阻止したうえ、逆襲転じて敗走させ、王子製紙工場付近まで追撃したその後中垣隊は恵須取支庁長以下400名の避難民後衛務め、翌17日午前3時頃には上恵須取到着したソ連軍8月17日午前7時8時30分恵須取山市街を占領午前10時30分頃に恵須取港から上陸した独立機関中隊とともに浜市街を占領したソ連側記録によると8月17日にも恵須取市街戦があったことになっているが、実際に日本側の部隊残っていなかった。 上恵須取の町は8月17日午後に空襲受けて焼失し疎開する中で特設警備隊義勇戦闘隊は隊員家族のもとに戻って解散態となっていった恵須取方面総指揮官として派遣され吉野貞吾少佐富澤大佐から指揮権引き継ぎ)によってソ連軍との停戦交渉行われたが、ソ連側要求する住民帰還避難民らが拒み武装解除にも応じ妥結に至らなかった。恵須取支庁長や吉野少佐日本兵士気高く戦闘拡大おそれがある判断し避難民軍部隊をまとめ、内路恵須取線東進してソ連軍から離れることにした。内路付近まで達した8月24日に、師団司令部から連絡将校到着して投降命令伝達され部隊武装解除受け入れた

※この「塔路上陸作戦」の解説は、「樺太の戦い (1945年)」の解説の一部です。
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