第2期作戦とは? わかりやすく解説

第2期作戦(漢水西岸)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 08:52 UTC 版)

宜昌作戦」の記事における「第2期作戦(漢水西岸)」の解説

5月31日夜、第3師団と第39師団襄陽対岸付近から漢水渡河開始した命令隠密渡河であったが、白河渡河戦味わった39師団砲兵射撃実施して強行渡河した。6月1日襄陽占領した師団南下開始した中国軍張自忠将軍失ったこともあり、各軍連携失って各個撃破されて潰走しつつあった。日本軍が襄西(漢水以西呼称)に進出したことは重慶政府動揺与え陳誠軍事委員政治部長)を宜昌派遣して軍を統一指揮させた。 6月4日には、南方から第13師団池田支隊漢水支隊漢水渡河宜昌目指し西進始めた第11軍は北と南の兵団統合して宜昌東方当陽付近中国軍包囲撃破することにした。日本軍荊州沙市など中国軍根拠地覆滅しながら進撃し鹵獲品は連日増大した6月9日当陽周辺包囲網狭められ第13師団当陽南地区陣地突破中国軍潰走させて宜昌方面迫った一方第3師団は峡口の山険頑強に抵抗する中国軍第2軍よって進出阻まれていた。 6月10日第11軍第13師団に対して宜昌攻略命令した先陣逃した第3師団と第39師団将兵たちは落胆憤慨したが、第11軍は両師団配慮して一部部隊宜昌攻略参加させるよう追加命令した。翌11日夕刻第13師団宜昌突入し12日には宜昌を完全攻略した(この日、ヨーロッパでパリ陥落した。)。

※この「第2期作戦(漢水西岸)」の解説は、「宜昌作戦」の解説の一部です。
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