立案と戦闘の経過とは? わかりやすく解説

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立案と戦闘の経過

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 03:50 UTC 版)

江南殲滅作戦」の記事における「立案と戦闘の経過」の解説

作戦目的は、第11軍占領地域の安定化と、宜昌より下流長江水上交通確保にあった太平洋方面重視して中国での戦線拡大嫌っていた大本営も、宜昌滞留中の船舶11隻(合計1万数千トン)の有効活用のために作戦同意した。またこの時期中国軍増水した長江への機雷敷設放流を行うとの情報があったため、第一遣支艦隊水路啓開隊を編成して航路安全確保を図ることにした。作戦検討段階では「二号作戦」の仮称でも呼ばれており、これは第11軍にとって1943年2番目の作戦の意味だと推測される4月9日から15日第1期作戦5月5日からの第2期作戦5月18日からの第3期作戦三段階で侵攻行われた第1期作戦戸田支隊(第40師団一部)を中心に第3師団独立混成第17旅団参加し華容石首から南下して洞庭湖北岸の三仙湖までを占領した。ついで第2期作戦では第13師団や第58師団の各一部加わって枝江南方の西斉・煖付近での包囲戦行い中国87軍(第55・第43新編第22師団)の主力撃破した第3期作戦では、日本軍西陵峡にまで到達した西陵峡にある石牌要塞長江三峡における要所で、もしここを日本軍突破されると中国軍後方巴東にある第6戦区司令部脅かされさらには重慶への障壁を失うことになる。第6戦区司令長官陳誠は、配下防衛軍第18軍第11師団)に死守命じた防衛軍には砲兵工兵通信兵などの特科兵連隊配属されまた、この戦いの後半から始まった航空兵力(アメリカ14空軍)の支援受けられたことは、これまでの中国軍には無いことであったこの間中国軍は、侵攻部隊対す直接抵抗のほか、警備手薄になった後方地域への反撃作戦実施した日本軍第13師団留守部隊一部歩兵1個大隊及び山砲1個中隊)が、第13歩兵団長多田保少将指揮の下で迎撃向かってきたのを、荊門北方の子陵舗付近撃破したこともある。この際中国軍山砲1門を鹵獲する「大戦果」を上げている。 宜昌付近船舶大小含めて53隻、約16,000トン)は、漢口第二碇泊司令官里見金二大佐指揮して5月27日宜昌出発漢口向かった。この日から、連合軍航空機出撃活発になり、戦場付近日本軍損害現れ始めた29日日本軍目的達成したとして反転し作戦終了した作戦期間中、第1遣支艦隊水路啓開隊は約60個の機雷処分した

※この「立案と戦闘の経過」の解説は、「江南殲滅作戦」の解説の一部です。
「立案と戦闘の経過」を含む「江南殲滅作戦」の記事については、「江南殲滅作戦」の概要を参照ください。

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