立案の経緯
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1931年(昭和6年)末に成立した犬養内閣は、内田信也を逓信政務次官に起用し、臨時海運調査会に代わって海事審議会を設置した。しかし、五・一五事件のために第1回委員会の開催は延期された。 委員会延期の間に日本船主協会は、1926年に不成立に終わったスクラップアンドビルド方式の新法に着目し、同法案を基礎とした政策案の陳情を始めた。この船主協会案は、計70万総トン以上の不経済船解体と1/3以下の総量の新船建造を行い、解体費と建造費の一部を政府が助成、実務処理のための代行機関設置、関税引き上げによる外国船輸入防止などといった内容であった。逓信省もこの案に賛成した。日本海員組合も、船腹減少による失業船員増加を懸念しつつ、海運業界全体の再生のため協力を選んだ。海軍も、有事の際に特設艦船として軍艦との編隊行動が可能な優秀商船の整備を望んでおり、国防上の見地から賛成していた。 一方で、高橋是清蔵相は、海運界の要望で創立した国策会社の国際汽船が失敗したことにより海運関係者への不信感を抱いていたと言われ、財政難もあって船主協会案に難色を示した。また、海運界でも山下汽船などは、旧式であっても安価かつ燃料調達が容易な石炭焚きレシプロエンジンの中古船輸入を重視しており、反対派であった。陸軍も、徴用船の性能を重視する海軍と異なって船腹量の確保を優先していたため、船の解体には反対の立場であった。 前政務次官の内田信也が積極的な調整を行った結果、海運・造船関係者の意見は統一され、高橋蔵相も最終的に船主協会案を承諾した。齋藤内閣下の7月13日に第1回委員会が開催され、特別委員会での審議を経て、7月26日に答申案が採択された。答申に基づき逓信省がまとめた5カ年の予算外国庫負担契約の原案は、大蔵省の査定により期間を2年半に縮めるなど修正のうえ提出され、同年8月の第63回帝国議会で協賛された。具体的な助成要件は、同年9月22日付の逓信省告示第1786号により示されている。
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