多田保とは? わかりやすく解説

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多田保

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/20 10:08 UTC 版)

多田 保(ただ たもつ、1890年明治23年)7月6日[1] - 1982年昭和57年)12月10日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

愛知県[1][3]、現在の津島市で生まれる[2]。1911年(明治44年)5月、陸軍士官学校(23期)を卒業[1][4]。同年12月、歩兵少尉に任官した[4]

1937年(昭和12年)11月、留守第3師団兵器部長に就任し、1938年(昭和13年)3月、歩兵大佐に昇進[3]。1940年(昭和15年)8月、歩兵第12連隊長に就任[3]。1942年(昭和17年)8月、陸軍少将に進級し歩兵第103旅団長に発令され日中戦争に出征[1][3]。同年12月、第13歩兵団長に転じた[3]。1944年(昭和19年)1月、独立歩兵第6旅団長に就任し[3]安慶に駐屯して水上交通の確保と維持に従事した[1]。1945年(昭和20年)5月、陸軍歩兵学校付となり帰国し、同年4月、陸軍中将に昇進した[1][3]。同年6月、第312師団長に発令され、佐賀県本土決戦に備える中で終戦を迎えた[1][3]1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]

1982年12月、老衰のため名古屋市昭和区の自宅で死去した[2]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 『日本陸軍将官辞典』445頁。
  2. ^ a b c 『現代物故者事典 1980〜1982』198頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』298頁。
  4. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』289、298頁。
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」163頁。

参考文献

  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 『現代物故者事典 1980〜1982』日外アソシエーツ、1983年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。



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