1号墓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/03 05:14 UTC 版)
四隅突出型墳丘墓。南側部のみが確認されており、規模は不明であるが、20メートル前後と推測される。墳墓群内で現在確認されている中で最小の四隅突出型墳丘墓である。
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1号墓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 14:35 UTC 版)
被葬者は利蒼の妻、辛追。 埋葬方式は仰臥伸展葬であり、棺内を満たす約 80 リットルの無色透明の液体に遺体は浸っていた。(この液体は、出土後ほどなくチョコレート色に変色した。) 遺体は2枚の肌着を含む18枚の絹や麻の経帷子を着、9本の帯で縛ったあと、2枚の真綿の衾被がかけられ、合計20枚の衣類に包まれていた。顔には濃い小豆色の錦のハンカチがかけられ、両腕と両足は絹の帯で縛られ、青絹の靴を履いていた。被葬者の開いた口からは舌が突き出て、その顔つきはいまだ生気が残っているかのようだった。 棺は四重で、いずれも梓の板を使い、棺槨と同様に掛け継ぎ、ほぞとほぞ穴、ほぞ釘などの接合方法で組み立てられた。大きさ(長さ×幅×高さ)は外棺が2.95×1.5×1.44メートル、内棺が2.02×0.69×0.63メートルであり、4つの棺が隙間なく重なり合うよう作られていた。四棺とも内壁は朱漆が塗られているが、外壁の装飾が次のように異なる。 外棺は黒漆塗りで、無地だった。 第二棺は黒漆塗の上に複雑な雲気紋と多くの怪神・禽獣の彩色画が描かれていた。 第三棺は朱漆塗の上に龍・虎・朱雀・仙人などを彩色して配した瑞祥図が描かれていた。 遺体を収める内棺は、黒漆塗の上に装飾が施されていた。すなわち、棺に蓋をしたのち2本の絹の帯を横に渡し、棺全体を覆うように絨圏錦(フランネル)で縁取りした羽毛貼花絹が貼り付けられ、錦のように飾り立てられていた。そして蓋板を一幅の帛画が覆っていた。 副葬品は全て辺箱の中に置かれており、1,400点を数えた。「妾辛追」と読むべき綬つきの印章が見つかっており、被葬者は利蒼の妻、姓名は辛追、と判断できる。 医学的所見 病理解剖の結果、遺体は外形のみならず内臓諸器官、さらには繊維性結合組織、筋肉組織、軟骨、血管など微細組織に至るまで、生前の状態に近い良好な保存状態が保たれていた。 女性の年齢は50歳前後。身長154.5センチメートル、体重34.3キログラム、血液型A型、出産経験あり。皮膚表面は褐黄色で(現在は黒色に変色)、皮膚組織はまだ湿潤かつ弾力性を残していた。頭髪はまばらだが白髪は無く、光沢が残り、少し力を入れて引いても抜けなかった。眼球がやや突出し、右鼓膜に穴が開いていた他は感覚器に異常は見られなかった。歯は16本残っていた。四肢の関節は動かすことができ、骨格は末端までほぼ完全であり、脳は 1/3 に萎縮していた。皮下脂肪が各所に見られ、小太りだったと思われる。 被葬者が生前多くの疾病に罹っていたことも判明した。具体的には、冠状動脈性の心臓病(心筋梗塞)、多発性胆石症、全身性の動脈粥状硬化症、血吸虫病など各種の寄生虫病、椎間板ヘルニア、胆嚢の先天的奇形、右腕骨折が確認された。 胃から真桑瓜の種が多数(138粒)出てきたため、被葬者が死亡したのは夏、食後2-3時間後と考えられる。被葬者は栄養状態が良く、長期に病臥した様子も見られないことから、胆石症の痛みが冠状動脈性心臓障害の発作を誘発し急死した、という経過が最も考えられる。ほか、仙丹の服用による水銀中毒・鉛中毒・砒素中毒が死因になった可能性も指摘されている。 湿屍 被葬者の遺体は「湿屍」と呼ばれる特異な保存状態にあった。2100年以上という年代の古さと、その良好な保存状態は、世界の死体保存例のうちでも極めて稀なものであり、医学的にも高い研究価値を持つ。 遺体が良好に保存された要因として、以下の点が挙げられている。 遺体が地中深く埋葬されていた。(盗掘坑があったが、墓室に達していなかった。) 墓室が堅固に構築され、数層の棺槨によって保護されていた 棺槨が木炭層と白膏泥層に包まれ、密封されていた。1号墓に穴をあけた際、ガスの噴出(火洞子、フォトンツ)が起こっており、これは確かに内部が密封されていた証である。 内部の密閉によって、低温と酸素欠乏状態が維持された。 被葬者は皮下脂肪が男性より多く、脂肪が発酵分解して発生したガスが墓室に充満した。結果として温度が一定して細菌の発生を防いだ。 漆、木炭、白膏泥、辰砂(いわゆる朱)、香料が防腐に役立った。 遺体が浸っていた液体には辰砂が含まれており、防腐の役割を果たした。
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