1号攻勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 04:24 UTC 版)
イラワジ河に達したイギリス軍はミンムより英第20インド師団、ニャングより主攻の英第7インド師団が渡河準備をした。 2月12日夜、英第20インド師団はミンムより渡河した。2月16日、マンダレー西方地域の危機を感じ取った第15軍司令官片村四八中将は1号攻勢を発動。第53師団(1個歩兵連隊、1個砲兵大隊)及び第31、33師団を主力として軍砲兵、戦車第14連隊などをもって攻勢をとった。英軍渡河正面にいた部隊は1号攻勢発動前に反撃に出ているが、昼間の爆撃・砲撃に苦しみ、夜襲をかけてもほとんど失敗した。2月20日には戦車第14連隊の虎の子20両のうち、10両が爆撃によって破壊された。各部隊は必死の夜襲をかけるもイギリス軍の橋頭堡拡大を止めることが出来ず、日本軍はサゲイン橋頭陣地をも放棄した。3月24日には集積地であるミンギャンも英軍によって占領された。
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