イラワジからメイクテーラへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 04:24 UTC 版)
「イラワジ会戦」の記事における「イラワジからメイクテーラへ」の解説
2月23日夜、メイクテーラにおいて田中方面軍参謀長、南方軍総参謀長、第15軍司令官などが集まって会議が行われた。困難を極める戦況を打開するための方策を話し合う会議であり、田中参謀長は第15軍に「イラワジ河の前後岸いずれにも攻勢を採れるよう弾力性のある指導を要望」し承認された。2月25日、第15軍はミッタの戦闘指揮所に各師団参謀長などを招集し、前日に決定された計画について話し合った。しかし、突如第15軍に「戦車、自動貨車約2000両からなる敵は、メイクテーラ方面に突進中」との緊急電報がもたらされ、会議は解散となった。この電報を受けて第15軍は1号攻勢の中止、メイクテーラ方面へ全力を傾けることを決定し、27日方面軍に電報された。しかし方面軍にはなぜか「戦車、自動貨車約200両」と伝えられた。方面軍はニャンウの敵をイラワジ南岸攻撃に策応する擾乱部隊と判断し、同27日夜こう返電した、 「メイクテーラの敵は恐るるに足らず、戦場の一波瀾に一喜一憂することなく、貴軍は毅然として盤作戦に邁進せらるべし」 これを見た第15軍は 「メイクテーラの情勢急変が果たして戦場局部の一波瀾なりや否やは事実が証明するであろう。軍はこの現実を一波瀾として軽視しえず」 と強い口調で返した。さらにビルマ方面軍の反対にもかかわらず第15軍はメイクテーラ会戦計画を策定し、方面軍に承認を迫った。第15軍のこの意見具申により方面軍に同調する空気が流れ、木村兵太郎方面軍司令官はとくに強く支持した。田中参謀長は反対したが、木村司令官が頑なに支持したため、田中参謀長も折れて第15軍案に同意した。
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