盤作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 02:15 UTC 版)
1944年のインパールでの戦いに勝利したイギリス軍はそのまま追撃に移ろうとしたが中国方面における日本軍の大陸打通作戦によるアメリカ軍航空部隊の配置換えにより一時的に満足な航空支援が受けられなくなった。そのため翌年までのろのろとした追撃戦が続いた。1945年1月、インパール作戦に敗れた第15軍はイギリス第14軍の追撃を受けつつ、ビルマ中部の中心都市マンダレー付近のイラワジ川の線まで後退していた。米中連合軍がレド公路打通を達成した以上、ビルマの戦略的価値は大きく低下しており、日本軍でもタイ国境まで後退すべきとする意見もあった。だがビルマ方面軍参謀長田中新一中将は、第15軍に「盤作戦」を、第28軍に「完作戦」を命じた。「盤作戦」はイラワジ川を防衛線としてイギリス軍を機に応じて撃滅するという強気の作戦、「完作戦」はベンガル湾沿いを防衛する作戦である。 だが、第15軍の4個師団(第15、第31、第33、第53師団)はそれぞれ実力1個連隊の戦力にまで損耗していた。それをイラワジ川沿いの200キロ以上の広正面に配置したところで有効な防御戦闘は困難だった。さらに、ビルマ中部の大平原は、乾季には砂漠のような荒涼たる大地に変貌する。制空権を持ち機動力に富むイギリス軍にとっては格好の舞台であるが、機動力を持たない日本軍にとっては苦しい戦場だった。
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