レド公路打通
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 02:15 UTC 版)
太平洋方面の戦局悪化により、断作戦の目的も、ビルマルート遮断の堅持から、後退しつつ時間を稼ぐことに変わっていった。任務の変化に伴って第2師団はサイゴンへ転用され、断作戦は第18師団と第56師団のみで継続された。ミイトキーナ、拉孟、騰越を攻略した米中連合軍は、補充ののち進撃を再開した。雲南遠征軍は11月初旬に龍陵を攻略、ビルマ領内へ兵を進めた。インド遠征軍は12月15日にバーモを攻略した。第33軍は「15対1」の兵力差となるなか、持久戦を続けた。 1945年1月27日、雲南遠征軍とインド遠征軍はついにレド公路上で握手した。ラングーン陥落から2年半、ビルマルート遮断は終わりを告げたのである。物資を満載したトラック群は昆明へと向かっていった。目的を達成した蔣介石は中国軍を順次帰国させた。
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