レドヴィンカによるコンセプトの展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 01:44 UTC 版)
「タトラ (自動車)」の記事における「レドヴィンカによるコンセプトの展開」の解説
1927年、社名はブランドと同じタトラ(Zavody Tatra)に変更された。 レドヴィンカはバックボーン・フレームとスイングアクスル式独立懸架を、小型車・大型車、乗用車・トラックの別なく、タトラ車に広く採用した。このレイアウトを大型乗用車や大型トラックに採用する例は世界的には少なく、特異である。 レドヴィンカには、次のような趣旨の発言がある。 「我々は荷車と変わらない固定軸のトラックをいまだに走らせ、道路を日々破壊しているのだ」 彼はスイングアクスルの熱烈な信奉者で、「路面に大きなダメージを与える大型車にこそ(そのダメージを軽減するために、スイングアクスル独立懸架を)積極的に用いるべき」と主張し、自ら実践した。1926年にはセミ・キャブオーバーのT23トラック(4気筒7,478cc64HP、積載量3t)がスイングアクスル装備で登場、更に翌1927年には後輪を二軸とした6輪トラックのT26も開発されている。 タトラの試みに追従するように、チェコ国内の競合メーカーであるシュコダ(Škoda)やプラガ(Praga)も、1930年代にバックボーンフレームやスイングアクスルを装備した乗用車を登場させることになる。このような先端技術のトレンドが、決して自動車先進地域でなかった東ヨーロッパで強力に働いたこと自体、驚くべきことである。 1926年に開発された中型車の「T17」は、外見こそ当時の時流に即した平凡なセダンであったが、中身は前後輪とも独立懸架、かつバックボーンフレーム方式という最先端の車であった。水冷直列6気筒1.9リッターのSOHCエンジンは35HPを発生、のちには2.3リッター40HPの拡大型「T17/31」も製造され、1930年まで存続している。 また1926年には、1.7リッターの空冷水平対向4気筒エンジンを搭載した「T30」シリーズも開発された。これはT11の大型化とも言うべきもので、1933年まで生産されている。
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