完作戦(第三次アラカン作戦)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 02:15 UTC 版)
「ビルマの戦い」の記事における「完作戦(第三次アラカン作戦)」の解説
詳細は「ラムリー島の戦い」および「170高地の戦い(英語版)」を参照 ビルマ南西部ではイギリス軍第15軍団がアキャブへ向けて前進していた。ビルマ西部の防衛は第28軍の担当で、第54、第55師団の二個師団だけだった。日本軍はアキャブからイラワジ河周辺までに縦深の防衛線を張り、ラムリー島などの海岸地区を持久地帯、ラングーン周辺を機動反撃地帯とし、エナンジョンからラングーンまでの線の確保を目的とする完作戦を発令していた。アキャブは1月3日に陥落したが、第28軍主力は既にここを撤退していた。次いでイギリス軍は1月21日、航空基地確保のためラムリー島(ラムレー島)へ上陸し、約1ヶ月の戦闘で日本軍を撤退に追い込んだ。第28軍は第55師団をイラワジ戦線へ抽出し、兵力は宮崎繁三郎中将の率いる第54師団のみとなっていたが、アラカン山脈へ後退しつつ抵抗を続けた(170高地の戦い(英語版))。
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