1号御料車(2代)→3号御料車(3代)
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1号御料車は、昭和天皇の御乗用として1932年(昭和7年)3月に鉄道省大井工場で製造された初の鋼製御料車である。鋼製となったのを契機として、車番を改めて1号から付番することとなり、本車は1876年(明治9年)に製造された初代に次ぐ、2代目の1号御料車となった。 一般の営業用客車は、1926年(大正15年)の設計車から鋼製車体が採用され、1931年(昭和6年)の設計車からは二重屋根を廃して丸屋根が採用されていた。また、台車も振動や揺動が少なく軽量な軸バネ方式の新型台車が開発されており、これらを採用した新しい鋼製の御料車と供奉車6両(300, 330, 340, 400, 460, 461)が計画された。これが1号編成である。 本車は、本来1931年秋の陸軍大演習に間に合うように計画されていたが、クスの良材がなかなか手に入らず、さらに1932年1月8日、代々木練兵場からの帰途にあった天皇の馬車に爆弾が投げられるという事件(李奉昌事件)があり、御座所の側面に1mm厚の鋼板を追加し、ほとんど完成していた床を削って鋼板を張り、その上に床を仕上げるという設計変更があり、完成は1932年3月にずれ込んだ。 車体は鋼製の丸屋根で、妻面は軽い後退角をつけた3面折妻となっている。全長は20.0m、幅は2.8m、高さは3.965m、自重は43.52tである。また、組み立ては皿リベットを使用して、外板表面が平滑に仕上げられ、暗紅色の漆塗りとされている。金線による装飾も施されたが、従来に比べてかなり簡素になっている。また、同時代の一般用客車が屋根の端部が下がっているのに対して、本車及び同時計画の供奉車では、そのままの高さで妻まで達しており、編成を組んだときの美観が考慮されている。台車は、当時の標準品である3軸ボギー台車 (TR73) である。 車内は、前位から次室、御座所、御剣璽室、休憩室、化粧室、厠に区分され、御剣璽室から後位は側廊下式となっている。御座所の位置は車体中央部から前位寄りにずれており、12号御料車との類似が見られる。 御座所の内装は、調度品に至るまでクス材を使用しており、腰張り及び入口引戸の羽目は柾目の寄木造りとなっている。窓は幅1.22mの下降窓であるが、バランサーが取付けられており、軽く開閉できるようになっている。また窓ガラスには、衝撃を受けてもひびが入るだけで割れない特殊ガラスを使用している。 空調は、当初は扇風機のみであったが、1955年(昭和30年)に御剣璽奉安室を縮小して冷風装置を取付けた。1958年(昭和33年)には、供奉車4両(330, 340, 460, 461)とともに更新改造が実施され、冷房能力6000kcalのユニットクーラーが床下に取付けられた。車内の内装材も更新され、面目を一新し近代化された本車は、1960年(昭和35年)に新しい1号御料車が落成するまで使用されたが、同車の落成にともなって3号御料車(3代)に改称された。 本車は、2010年現在もJR東日本に車籍を有しており、同社の東京総合車両センターに保管(名目上は尾久車両センターに配置)されているが、全く使用されていない。
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