1号御料車(初代)
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1号御料車は、京阪間鉄道の開業式に備えて、1876年(明治9年)に当時の汽車監察方ウォルター・スミスの指導のもと、工部省鉄道寮神戸工場で新製された。製造当時は「形式AJ」と称していたが、1911年に改称されたものである。 木造アーチ屋根の2軸車で、全長は7.34m、幅は2.16mである。側板は1枚張りのペンキ塗りで、中央部に菊の御紋章、その周囲に竜の模様を金粉で描いてある。 御座所は、当時の美術工芸の粋を尽くした造りで、長さは3.18m、中央部に玉座として用いられたソファが置かれ、四隅に小型円形の椅子が置かれている。ソファと反対側の窓辺には、テーブルが備えられている。なおソファが横を向いているのは、行幸の際の展望のためという理由のほか、車両の幅が狭いために横向きの方が空間を広く使えるという理由に基づく。 御座所の両側には、次室(侍従のいる部屋)が設けられており、そこに出入口が設けられている。御厠(トイレ)は車端部に設けられ、和式で漆塗りの便器が備えられている。 2軸車である上に技術の発達していない時代の製作であることもあって、防震には非常に苦労をしたようである。車体の土台、根太、台枠には防震ゴムが取り付けられており、車輪の輪心も木製である。ブレーキは、作動時の騒音を排除するため、貫通管が引き通されているだけでブレーキ装置は取り付けられていない。 車体には天皇の意(「停止」「徐行」「適度」)を機関士に伝える「運転制禦装置」が取り付けられた。1888年(明治21年)11月の演習親閲のための浦和行幸の帰りに、風雨のなか停車場脇で行われた埼玉県尋常師範学校生徒による兵式体操と障害物競走を上覧するために、実際にこの装置を使ってお召列車を停止させたことが記録されている。 本車は1898年(明治31年)に3号御料車(初代)が落成するまで使用され、以後はボギー車の入ることのできない地方線区用に使用されたものと思われる。 1913年(大正2年)に廃車となり、大井工場に保管されたが、1936年(昭和11年)に鉄道博物館(のちの交通博物館)に移され展示された。1958年(昭和33年)に鉄道記念物に指定され、2003年(平成15年)には国の重要文化財に指定された。交通博物館閉館後は、さいたま市の鉄道博物館に移され、展示されている。
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1号御料車(3代)
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現在の1号御料車は、昭和天皇の御乗用として、1960年(昭和35年)に国鉄大井工場で製造されたもので、1876年(明治9年)に製造された2軸客車の初代、1932年(昭和7年)に製造された2代目(現・3号)に次ぐ、3代目の1号御料車である。 車体は、当時の最新鋭客車である20系客車をベースに、鋼体を厚くする、窓を防弾ガラスに換える等の保安対策を施した構造となっており、旧形客車とは違う平滑でシンプルな外観が特徴である。台車もこれまでの御料車に使用されていた三軸台車から空気バネ使用の二軸台車・TR65を使用している。 車内は、次室・御座所(皇族が乗る箇所)・御休憩室・御化粧室・御厠(トイレ)・配電室が配置され、出入台(デッキ)は観音開き式とし一個所に集約。御剣璽室・御剣璽奉安所は省略された。内装は出入台・御厠を除き総絹張りとし、御座所・御休憩室・御化粧室はそれぞれ異なる時代様式としている。御座所の天井は平天井とし、20Wの蛍光灯を80本使用した光源を白いアクリル板を透かして照明とする光天井としている。側窓は複層ガラスによる固定窓としているが、御座所については他より大きな窓が3枚ずつあり、このうち中央の1枚は電動で上下し、開閉することができる。御座所内には豪華なソファの他、テレビとラジオがあり、冷暖房も完備されている。 御座所の天井以外の内装には、和風調度品をふんだんに用いており、その時代における日本の最高級の車両製造技術と美術工芸の粋を駆使して製造されている。 御料車の外装は、それまでの漆に代わり深紅色の合成樹脂ラッカー塗装で、さらにワックスで磨き上げている。また側面の上下には2本の金線が入っているが、これは本物の金箔を貼りつけている。窓枠は金メッキとしていたが後に金箔の貼りつけに改めた。 御座所の外側、開閉可能な窓の下には、紋章取付座がある。ここには、天皇が乗車する場合に限り金色の天皇家の御紋章(十六弁八重表菊紋)が取り付けられる。車両限界に対する御紋章の厚みを考慮し、20系客車同様の広幅車体は採用せず、車体下部の裾絞りのない垂直な側板形状となっている。 なお、御料車としては初めて製造所銘板が取付けられている。前位端梁には青銅鋳物に金メッキされた通常より小型サイズのものが、配電室には黄銅板にエッチングを施し、さらに金メッキをしたものが取付けられた。 本車は、供奉車の460号・340号・330号・461号と固定編成を組んでおり、一般に「1号編成」と呼ばれている。これらの供奉車は、1931年(昭和6年)から翌年にかけて1号御料車(2代。現・3号)との編成用に製造されたものであるが、本車の落成とともに改装され、460号にディーゼル発電機を設置して20系客車に準じた交流600V/60Hzを供給する給電システムに改めている。 JR東日本は、2007年(平成19年)に1号編成に代わる貴賓用電車E655系と特別車両E655-1を新製し、現在はこれらの車両を用いている。それにともない、供奉車4両を含む1号編成は保留車となっており、「お召し列車専用機」であるEF58形61号機と共に東京総合車両センター内の専用車庫に厳重に保管されている。なお、検査も行われていないことから1号編成の出番は今後はないものと思われる。
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