12号御料車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/26 09:38 UTC 版)
12号御料車は、1924年(大正13年)1月に摂政宮(昭和天皇)の御乗用として大井工場で製造されたものである。 車体は大型客車に属するモニター屋根の木製車で、3軸ボギー台車を装着している。全長は20.06m、車体幅は2.8m、高さは3.924m、自重は36.42tである。 車内は、前位側から次室、御座所、御剣璽奉安室、休憩室、化粧室に区分されており、御座所が車体中央から前位よりに位置しているのが特徴である。また、御座所、次室には廊下がなく、後に製造される鋼製御料車の先駆けともいうべき特徴も有している。また答礼の際、お顔がよく見えるよう側窓の上辺位置が10cm上げられ、レール面上2.844mとされている。外装については、軒周りの飾りがなくなり、金線による装飾も簡素なものとなっている。 内装は、従来の御料車に見られた格天井や蒔絵、螺鈿などの装飾をやめて、簡素な洋風となった。上天井は1枚の裂地張り、下天井から側壁にかけては透かしの裂地張りで、窓下はクスの柾材を使用している。妻板上方には岡田三郎助の描いた野菊とバラの油絵が掲げられ、その下には、暖房管を隠すために設けられたマントルピースがあり、各宮家から献上された馬の置物が置かれている。 皇太子用として製造されたため、当初は御剣璽奉安室はなかったが、昭和天皇即位後も御乗用とされたため、休憩室の一部を改造して設置された。また1928年(昭和3年)の昭和天皇の御大礼の際には、じゅうたんや椅子、クッション類が更新されている。 本車は1923年(大正12年)8月には車体がほぼ完成し、塗装職場に回されるところであったが、9月1日に発生した関東大震災の影響や、朴烈事件により設計を変更し、御座所の両側に3mm厚の鉄板を貼るなどしたため工期が遅れ、1924年1月の完成となった。 本車は、1928年(昭和3年)の昭和天皇の御大礼にお召車として使用され、1932年(昭和7年)に鋼製の1号御料車(2代)が完成した後も予備車として使用された。1959年(昭和34年)に廃車となり、大井工場の御料車庫に保管された。また、1969年(昭和44年)10月に鉄道記念物に指定されている。 長らく東京総合車両センターに保管されていたが、2007年10月14日、さいたま市大宮区に開館した鉄道博物館に移され、展示されている。 12号御料車 12号御料車内部(御化粧及御召換室) 12号御料車内部(御休憩室) 12号御料車内部(御座所) 12号御料車内部(次室)
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