12名の武装親衛隊フランス人義勇兵とルクレール将軍
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「第33SS武装擲弾兵師団」の記事における「12名の武装親衛隊フランス人義勇兵とルクレール将軍」の解説
1945年5月初旬、ドイツ南部・ババリアで12名の武装親衛隊フランス人義勇兵 がアメリカ軍に戦うことなく降伏した。それから間もなくアメリカ軍は彼らをフランク・ミルバーン少将(General Frank Milburn)のアメリカ陸軍第21軍団(XXI Corps)に所属していた、フィリップ・ルクレール将軍(General Philippe Leclerc)の自由フランス軍第2自由フランス機甲師団(2e DB)に引き渡した。 5月8日午前10時過ぎ、捕虜たちはバート・ライヒェンハル(Bad Reichenhall)の屋敷に設けられたルクレール将軍の前線司令部に連行された。この時、第2自由フランス機甲師団本部中隊の隊員セルジュ・デ・ブリュエール(Serge des Bruères) は、捕虜のうちの2、3名、とりわけ1名の将校に対して言った。「フランス人に降伏するなんてどうかしている。とんでもないことが起きるぞ! お前たちは民間人の服を着てフランスに帰るべきだったんだ!」 すると、その将校セルジュ・クロトフSS義勇中尉(SS-Frw. Ostuf. Serge Krotoff)は威厳を込めて答えた。「我々はフランスの理想のために戦った兵士だ。民間人の服は着ない」 確かに、1、2名はいたであろう例外を除き、捕虜となった武装親衛隊フランス人義勇兵たちは威厳を持って事実を直視していた。このことはセルジュ・デ・ブリュエールに強い印象を与えた。 やがて、12名の捕虜と会話をするためにルクレール将軍が姿を現した。そして開口一番に、 「 お前たちはドイツの制服を着て恥ずかしくないのか?(Vous n'avez pas honte de porter l'uniforme allemand?) 」 と怒鳴りつけ、外国(「ドイツ野郎」(Boche))の軍隊の制服を着ているこの12名の同胞をなじった。すると、捕虜の1人ポール・ブリフォー武装少尉(W-Ustuf. Paul Briffaut)は次のように言い返した。 「 あなたも、アメリカの制服を着ているではありませんか!(Et vous? Vous portez bien l'uniforme américain!) 」 この時ルクレールは師団のなかでただ1人、米軍の制服を着ていたのだった(自由フランス軍は米軍の制服を改造した軍服を着用していた)。そして、第2自由フランス機甲師団のある軍曹とセルジュ・デ・ブリュエールは、これ以後捕虜たちの監視の責任を持つとともに、捕虜と会話をしないよう命じられた。彼らが2時間ほど捕虜たちを監視した時、時刻はすでに午後2時を回っていた。
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