12名の武装親衛隊フランス人義勇兵とルクレール将軍とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 12名の武装親衛隊フランス人義勇兵とルクレール将軍の意味・解説 

12名の武装親衛隊フランス人義勇兵とルクレール将軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/15 01:43 UTC 版)

第33SS武装擲弾兵師団」の記事における「12名の武装親衛隊フランス人義勇兵とルクレール将軍」の解説

1945年5月初旬ドイツ南部ババリア12名の武装親衛隊フランス人義勇兵アメリカ軍に戦うことなく降伏した。それから間もなくアメリカ軍は彼らをフランク・ミルバーン少将General Frank Milburn)のアメリカ陸軍第21軍団(XXI Corps)に所属していた、フィリップ・ルクレール将軍General Philippe Leclerc)の自由フランス軍第2自由フランス機甲師団2e DB)に引き渡した5月8日午前10時過ぎ、捕虜たちはバート・ライヒェンハルBad Reichenhall)の屋敷設けられルクレール将軍前線司令部連行された。この時、第2自由フランス機甲師団本部中隊隊員セルジュ・デ・ブリュエール(Serge des Bruères) は、捕虜のうちの2、3名、とりわけ1名の将校に対して言った。「フランス人降伏するなんてどうかしているとんでもないことが起きるぞ! お前たち民間人の服を着てフランス帰るきだったんだ!」 すると、その将校セルジュ・クロトフSS義勇中尉(SS-Frw. Ostuf. Serge Krotoff)は威厳込めて答えた。「我々はフランス理想のために戦った兵士だ。民間人の服は着ない確かに1、2名はいたであろう例外除き捕虜となった武装親衛隊フランス人義勇兵たちは威厳持って事実直視していた。このことはセルジュ・デ・ブリュエールに強い印象与えた。 やがて、12名の捕虜会話をするためにルクレール将軍が姿を現した。そして開口一番に、 「 お前たちドイツ制服着て恥ずかしくないのか?(Vous n'avez pas honte de porter l'uniforme allemand?) 」 と怒鳴りつけ、外国(「ドイツ野郎」(Boche))の軍隊制服着ているこの12名の同胞をなじった。すると、捕虜1人ポール・ブリフォー武装少尉(W-Ustuf. Paul Briffaut)は次のように言い返した。 「 あなたも、アメリカ制服着ているではありませんか!(Et vous? Vous portez bien l'uniforme américain!) 」 この時ルクレール師団のなかでただ1人米軍制服着ていたのだった自由フランス軍米軍制服改造した軍服着用していた)。そして、第2自由フランス機甲師団のある軍曹とセルジュ・デ・ブリュエールは、これ以後捕虜たちの監視責任を持つとともに捕虜会話をしないよう命じられた。彼らが2時間ほど捕虜たちを監視した時、時刻はすでに午後2時を回っていた。

※この「12名の武装親衛隊フランス人義勇兵とルクレール将軍」の解説は、「第33SS武装擲弾兵師団」の解説の一部です。
「12名の武装親衛隊フランス人義勇兵とルクレール将軍」を含む「第33SS武装擲弾兵師団」の記事については、「第33SS武装擲弾兵師団」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「12名の武装親衛隊フランス人義勇兵とルクレール将軍」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「12名の武装親衛隊フランス人義勇兵とルクレール将軍」の関連用語

12名の武装親衛隊フランス人義勇兵とルクレール将軍のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



12名の武装親衛隊フランス人義勇兵とルクレール将軍のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの第33SS武装擲弾兵師団 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS