12代目 服部半蔵正義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 06:11 UTC 版)
弘化2年(1845年)9月29日生まれ。21歳で(大服部家)家督を継ぎ桑名藩家老となる。名は半十郎。服部半蔵日記を記す。桑名藩家老である酒井孫八郎は正義の弟である。藩主の松平定敬が京都所司代となり、その補佐として正義も京に赴く。慶応4年、鳥羽・伏見の戦いに桑名軍を率いて参戦、明治元年(1868年)閏4月には転戦した柏崎の鯨波戦争で指揮官を務める。同年9月26日に庄内にて降伏。官軍に身柄を拘束され謹慎処分となるが、明治2年12月、桑名藩の戦後処理の終了と共に謹慎が解かれ自由の身となる。その後は桑名藩の要職や三重県第一・第三区長を務め、明治19年(1886年)1月22日に没した。 詳細は「服部正義」を参照
※この「12代目 服部半蔵正義」の解説は、「服部半蔵」の解説の一部です。
「12代目 服部半蔵正義」を含む「服部半蔵」の記事については、「服部半蔵」の概要を参照ください。
- 12代目 服部半蔵正義のページへのリンク