1号内火機械
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 05:04 UTC 版)
原設計海軍艦政本部。ロンドン海軍軍縮条約により潜水艦の保有量が制限させられたため個艦の威力を増大させる必要が生じた。中でも潜水艦は作戦遂行上24ノットの水上速力を実現するため、そのために大出力ディーゼルが必要とされた。 日本海軍では1927年から横須賀海軍工廠で2サイクル複動機関の開発に着手し、1930年までに、海大型潜水艦に装備しうる大きさの実験機を製造した。しかし当時の海軍は大出力実用機械を国産機で実現する自信が無く、ズルザー社が計画中の9Q54型を購入するか、あるいはドイツがドイッチュラント級装甲艦に採用したMAN社のMZ型複動ディーゼルを試験購入してその技術を今後に生かすか、いずれかの方法をとることとなったが両者とも価格面で折り合いがつかず、1930年9月に海軍独自で複動機械を製造することが決定した。 1号内火機械は1931年11月にテスト機の実験に成功して採用となり、その後10年間に亘って製造が継続された。 装備艦艇1号甲7型:伊号第六潜水艦 1号甲8型:伊百六十八型潜水艦、伊百七十四型潜水艦 1号甲10型:伊七型潜水艦、伊四十型潜水艦 1号乙8型低過給:伊百七十六型潜水艦
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