複動式内燃機関
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1860年頃にジャン=ジョゼフ・エティエンヌ・ルノアールが発明したルノアール・ガスエンジンのような、いくつかの初期のガス機関(英語版)では定置式蒸気機関の設計である複動式が取り入れられた。 しかし、内燃機関は間もなく単動式に切り替えられた。これは2つの理由からである。 高速蒸気機関では両側に大きな力がかかり、連接棒も大きくなるのでクランクの軸受も大きくなるが、単動式ピストンでは力の方向は一方向の為、軸受けの幅を狭める事が出来た。 良い混合気の流れを得るために大きな弁面積が必要である一方で、圧縮比を高めるためにはシリンダーヘッドの燃焼室の容積は小さくする必要がある。ルノワール・ガスエンジンのように蒸気機関から派生したシリンダーはガソリンエンジンには不適当だったので、ポペットバルブの装備を基にした単動式のトランクピストンを新たに設計しなおす必要があった。 高炉のための送風用エンジン(英語版)として製造された超大型のガスエンジンは1本か2本の大型シリンダーを備え、高炉ガスを燃焼する。これらの一部は複動式のケルティング兄弟社(英語版)製である。ケルティングのガスエンジンはガソリンエンジンのような火花点火内燃機関やディーゼルエンジンのような圧縮点火内燃機関と比較してピストンの圧縮力は僅か、あるいは圧縮自体を必要としないので、狭く複雑な吸排気経路を持つシリンダー構造にもかかわらず、複動式の設計の採用は適切だった。 複動式シリンダーは内燃機関では廃れたものの、バーマイスター&ウェイン(英語版)は1930年以前に2ストローク複動式(2-SCDA)ディーゼルエンジンを船舶用に生産した。最初は1929年にイギリスの自動車運搬船MV アメリカに7,000 hpの機関が備えられた。1937年には24,000 hpの2基のB&W SCDAエンジンがMV スターリング・キャッスル(英語版)に備えられた。また、同社の複動式ディーゼル機関は日本の氷川丸でも使用された。 日本では他に、大日本帝國海軍において戦前型の潜水艦の多くが艦政本部設計の2ストローク複動型ディーゼルエンジン(艦本式1号内火機械)を搭載していた。水上速力を重視した為に高出力ではあるものの、騒音が大きく、排気圧力が低い為シュノーケルを用いた主機関での水中連続航行に不向きだった欠点があった事から、第二次世界大戦が始まると低出力であるが騒音が低めで燃費が良く、排気圧力が高いので主機での水中連続航行に適した4ストローク単動式へと移行していった。 対向ピストン機関を複動式とする事は、潜水艦内の限られた空間を有効利用することにも繋がるために日本のみならずアメリカ海軍でも導入が模索された。1935年にポーパス級潜水艦USS ポンパーノ (SS-181)にてホーヴェン=オーエンス=レントシュラー(H.O.R.)製の直列8気筒複動型ディーゼルエンジンが試験採用され、後にサーモン級潜水艦やサーゴ級潜水艦にてH.O.R.製直列9気筒複動型ディーゼルエンジンが全面採用された。H.O.R.エンジンはドイツ海軍のライプツィヒ級軽巡洋艦で採用されたMAN製W7Z30/44型直列7気筒(英語版)複動型ディーゼルエンジンの製造権を取得し、潜水艦向けに独自改良したものであったが、これら一連のH.O.R.製複動型ディーゼルエンジンは高出力の反面信頼性が低く、USSポンパーノにおいてはメア・アイランド海軍造船所での試験航海中にも何度も故障を起こし、乗組員からは「売女ども」と渾名され、1942年のトーチ作戦に参加したUSS ガーナード (SS-254)のチャールズ・ハーバート・アンドリュース艦長は「私は4機のH.O.R.エンジンのうち、常に3機までしか使わず、1機は予備として残していた。それでもビスケー湾内で2機が故障してしまい、哨戒を中断して帰投した。」と記し、USS ジャック(SS-259)のトーマス・M・ダイカーズ(英語版)艦長に至っては「H.O.R.エンジンのお陰で30から40隻の日本商船が救われたことだろう。」とまで酷評した。結局、結局、ポンパーノのH.O.R.製8気筒エンジンは1942年にフェアバンクス・モース製エンジンに、後継艦の9気筒エンジンも1943年にゼネラルモーターズのクリーブランド・ディーゼルエンジン(英語版)部門が製造したV型16気筒の16-248型2ストロークディーゼルに置き換えられた。日本海軍が伊号第八潜水艦にて遣独潜水艦作戦を成功させるなど複動式ディーゼルでそれなりの成果を残したのに対して、アメリカ海軍の一連の複動式ディーゼル導入の試みは今日では完全な失敗と評価されている。 これらの船舶用複動式機関は最大出力を重視したものが多かったが、イギリスでは燃費の最大化を目的に複動式機関を採用した例があった。1953年にイギリス空軍に採用されたMark 3 空中投下式救命艇は、第二次世界大戦中の太平洋戦線における日本陸海軍航空隊との戦闘で得られた戦訓を踏まえ、搭載エンジンには「50英ガロン(約230リットル)の燃料で1000マイル(約1600km)を航走できる事」という極めて厳しい性能要件が課された。ヴィンセント・モーターサイクル(英語版)社はこの要求を満たすため、「対向ピストンかつクロスヘッド方式の2ストローク・ガソリン複動式機関」という類例を見ない特異な設計を持つヴィンセント・ライフボート・エンジン(英語版)を完成させた。このエンジンはヴィンセントのエンジン技師、フィル・アーヴィング(英語版)と、同社社長のフィル・ヴィンセント(英語版)によって大戦中の1942年に救命艇向けの省燃費エンジンとして既に特許取得されていたものであったが、当時の英国航空省(英語版)が海上救難に対して無理解であった事や、太平洋戦線が日本の敗戦により早期に終結してしまった事もあり、戦後になるまで日の目を見なかったものであった。HRD T5と名づけられたこのエンジンは直列3気筒レイアウトで中央シリンダーを左右シリンダーの掃気専用に用いる事で燃費効率を高めており、出力は僅か15馬力で、製造数は生産配備された約50隻分に留まったが、今日ではその独創性からフィル・ヴィンセントとアーヴィングのエンジン技師としてのキャリアにおける傑作の一つとして認識されている。 イギリスでは他に1946年にロイド・カーズ(英語版)が654ccの2ストローク複動式エンジンを採用したロイド・650を発売したが、出力25馬力と車体の大きさに対して非力であったため最高速度は55マイル毎時(85km/h)程度がやっとで、会社が消滅する1950年までに600台ほどを製造したのみに終わっている。
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