大泊瀬稚(幼)武尊とは? わかりやすく解説

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雄略天皇

大泊瀬稚(幼)武皇子は「日本書紀によれば実に多く人々殺戮して天皇になったということになる。
雄略天皇は皇后草香姫を迎え三輪山の麓に泊瀬朝倉宮を営んだといわれているが、この天皇に対す評価まちまちである。
日本書紀によれば大草香皇子の子眉輪王変事で、まず同母兄の八釣白彦皇子殺害し次いで葛城円大臣屋敷逃げ込んだ眉輪王同母兄の境黒彦皇子円大臣及びその屋敷と共に焼き殺した。
そして安康天皇寵愛していた履中天皇皇子磐坂市辺押磐皇子妬み狩に誘い出し殺したとある。
これらにより「はなはだ悪しくまします天皇なり」という評を後世残した
しかし、このような評価とは別に雄略天皇の事績全国に及び、熊本県船山古墳から出土した大刀銘や埼玉県稲荷山古墳から出土した鉄剣銘に「獲加多支鹵大王」とあることからその武威全国及んでいたと考えられる
さらに高句麗侵攻受けた百済をたすけ朝鮮半島南部進出したと「日本書紀」にある。
また、宋書倭国伝」のいわゆる倭の五王」のうちの「倭王武」にあたるとされ、倭王武は「使持節都督倭・百済新羅任那加羅秦韓・慕韓七国諸軍安東大将軍倭国王」と称した
武は、「宋」、「斉」、「」の帝から安東大将軍、鎮東大将軍征東将軍称号与えられ活躍目覚しかった。
また武の祖先関東九州統一したとの記述が「宋書倭国伝」にある。
 




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