石川楯とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 石川楯の意味・解説 

石川楯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/24 09:52 UTC 版)

 
石川楯
時代 古墳時代
生誕 不詳
死没 不詳
主君 雄略天皇
テンプレートを表示

石川楯(いしかわの たて、生没年不詳)は、雄略天皇臣下[1]

人物

雄略天皇二年、天皇は百済から貢進された百済王族の娘・池津媛宮中に招き入れようとしたが、池津媛は徹底的に雄略天皇を嫌い抜き、かねてから好意を寄せていた石川楯と駆け落ちした。これを知った雄略天皇は、追手を差し向けると二人を捕縛し、大伴室屋に命じて、二人の手足を木に縛り、桟敷の上に置かせ、火を付けて焼き殺して処刑した[2][3]

脚注

  1. ^ 高森明勅 編 『歴代天皇事典』PHP研究所PHP文庫〉、2006年10月3日、29頁。ISBN 456966704X 
  2. ^ 末國善己 『夜の日本史』辰巳出版、2013年8月30日、17頁。 ISBN 4777811425 
  3. ^ 日本人名大辞典+Plus『石川楯』 - コトバンク



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  石川楯のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「石川楯」の関連用語

石川楯のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



石川楯のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの石川楯 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS