藤原宮子尊号問題とは? わかりやすく解説

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藤原宮子尊号問題

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 23:35 UTC 版)

長屋王の変」の記事における「藤原宮子尊号問題」の解説

神亀元年724年2月24歳になった皇太子元正天皇から譲位受けて即位し聖武天皇となった同時に即位伴なう叙位任官で、皇親長屋王従二位右大臣から正二位左大臣になったが、2日後出された勅で天皇の母である宮子夫人を「大夫人」(おおみおや)と尊称せよ、とあった。 これに対し左大臣就任したばかりの長屋王らは、翌月以下のように申し出た。「二月四日の勅を伏して見ると、藤原夫人天下みなこれ大夫人称せとのことでございますが、臣ら、謹んで公式令調べますれば、称号皇太夫人称することになってます。先頃勅号奉じますと、皇の文字失われ、また令によりますと、違勅になることを恐れます。いかに定めればよいのか分かりませんので、伏して指図仰ぎたいと思います天皇は詔を出し文章では、「皇太夫人」とし、読むときは「大御祖」(おおみおや)とし、先の勅を退けることにした。 この事件は、長屋王聖武天皇および藤原氏から好ましくない人物とみられる一因になった思われるその後数年表だって何事もなく過ぎ去り中納言巨勢邑治病没藤原武智麻呂の妻の伯父にあたる阿倍広庭参議加わり長屋王の側にいた大伴旅人大宰帥として九州赴任させられている。

※この「藤原宮子尊号問題」の解説は、「長屋王の変」の解説の一部です。
「藤原宮子尊号問題」を含む「長屋王の変」の記事については、「長屋王の変」の概要を参照ください。

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