江戸落語家
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2代目林家三平:(落語協会、真打) 父は初代林家三平、祖父は7代目林家正蔵、兄は9代目林家正蔵、甥は林家たま平(兄・正蔵の長男)、林家ぽん平(兄・正蔵の次男)。師匠は林家こん平、1989年入門。2002年9月、真打昇進。2009年3月、父の名跡・三平を二代目として襲名 2代目林家木久蔵:(落語協会、真打) 父は林家木久扇。師匠も同じ、1995年入門。2007年9月、真打昇進と同時に父から名跡を譲られ父の名跡・木久蔵を襲名。 三遊亭王楽:(円楽一門会、真打) 父は三遊亭好楽。師匠は5代目三遊亭圓楽で父好楽は兄弟子にあたる、2001年入門。オフィスまめかな所属。2009年10月、真打昇進。
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江戸落語家
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6代目三遊亭圓生 6代目三遊亭圓生について「昭和最後の大名人」と評価し、滑稽噺から人情噺まで通用する守備範囲の広さにはとても敵わないと述べていた。談志の独演会である「ひとり会」では、圓生の十八番の演目『庖丁』に出てくる端唄「八重一重」がどうしても上手く唄えないため、圓生本人に『庖丁』の代演を依頼したことがあった。談志からの突飛な依頼に対し、当の圓生は快く引き受けたという。 5代目三遊亭圓楽 前座時代の5代目圓楽に「よぉ、ライバル!」などと声をかけたエピソードが残るなど若手の頃から意識する存在であり、二人会も数多く行った。ただし、笑いに関しては「俺が良いならいい。俺が妥協したら談志が談志でなくなる」と考える談志と「大衆芸能なのだからマジョリティを相手にしなければ駄目だ。もう少し折れろ」と考える5代目圓楽の間ではいつも意見が食い違っていたという。5代目圓楽は「談志とは忌憚なく意見がぶつけあえる」と語っていたが、談志の方はそれが影響してか「あたしゃ圓楽が嫌いです」と公言し、「下手な落語家」の例えとしてその名を挙げていた。だが、真顔に戻ると、寄席若竹開業に対して「立派なことをしているんです」と評価している。若竹については閉鎖後には週刊誌の連載で「地主の老人を騙し巻き上げた金で若竹を作った」などと痛烈に批判した。5代目圓楽は著書で「談志より先に死にたくない」と語る一方、「『あいつより先に逝きたくはない』という存在があるからこそお互い頑張ってこられた」とも語った。ただし、圓楽が死去した際には談志は追悼のコメントを出したほか、桂三枝(現:6代桂文枝)は「圓楽師匠が死んで一番悲しんでいるのは談志師匠ではないか」と当時のブログに記述した。 桂歌丸 『笑点』放送開始当初のメンバーの中で、桂歌丸だけが唯一きちんとリアクションの取れる噺家であると評価していた。『笑点』降板後も「『笑点』の(当時の)メンバーはろくに挨拶に来ねぇ。来るのは、歌さんくらいだ」と語り、歌丸も東京スポーツでのインタビューで「談志さんが恩人(なら、5代目圓楽さんは友)」と語るほど関係は良好だった。2人とも同年齢で、『笑点』初期には一緒に漫才を披露したこともある。
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