得川義季
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新田 義季/得川 義季/世良田 義季(にった よしすえ / えがわ(とくがわ)よしすえ / せらだ よしすえ)は、平安時代末期から鎌倉時代初期頃にかけての武士・御家人。得川氏・世良田氏の祖。のちに徳川家康が清和源氏を僭称する際に松平氏の遠祖とみなされる。また名字の表記について「得川」か「世良田」かで論争がある[2]。
- ^ 「新田松平家譜」(『系図綜覧』所収)
- ^ 系譜に記載される「得川(徳川)義季」に従う意見と、「世良田地頭」と推定される義季は「世良田義季」と名乗ったと考える意見がある(定方晟「特別招待席 徳川義季か世良田義季か」『歴史研究』45(9)、2003年9月)。
- ^ 現在の群馬県太田市世良田町。徳川に北隣する地名である。
- ^ 現在の太田市徳川町。
- ^ 義季の得川郷領有に関しては、父・義重やその妻である母親からの譲渡を示す史料は存在しない。父親からの伝領は押切・世良田・三木・上平塚・下平塚であった。 また、新田荘の成立過程で『得川郷』なる地名は存在せず、義季の開発によって出現した可能性が高い。
- ^ 『群馬県史』、久保田順一『新田一族の盛衰』など。
- ^ 久保田順一『中世前期上野の地域社会』岩田書院、2009年
- ^ 加藤克巳「「徳河義秀」の素性-新田義季の所領拡大過程を考える」『群馬文化』232、1992年。清水昇『消された一族』1990年
- ^ 有栖川宮の祭祀を継承した高松宮宣仁親王の妃喜久子が源義季の末裔という徳川氏出身である点に着目して捏造したと思われる
- 1 得川義季とは
- 2 得川義季の概要
固有名詞の分類
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