若山勿堂
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若山 勿堂(わかやま ぶつどう、享和2年(1802年) - 慶応3年7月16日(1867年8月15日))は、江戸時代の儒者、兵学者。
- ^ 『佐藤一斎と其の門人』第九章
- ^ 『山鹿素行兵法学の史的研究』十一章
- ^ 石岡久夫は山鹿流を学んだ菅谷政利からの伝系であるとしているが(山鹿素行→大石良重→菅谷政利→太田利貞→岡野禎淑→清水時庸→黒野義方→窪田清音→若山勿堂→勝海舟、『山鹿素行兵法学の史的研究』P173~175)、菅谷の思想・経歴について赤穂市史編纂室は疑問視し、菅谷を「もっとも行動や考えのわかりにくい一人である」としている。(赤穂市史編纂室主幹・三好一行「赤穂四十七士列伝」P112)。同様に同市編纂室は「一次資料である山鹿素行日記・年譜に全く記載がない」事を理由に、大石良重が山鹿素行から山鹿流を学んだとする説をも記してない。(同市編纂室「大石内蔵助良雄」「大石頼母助良重」)
- ^ 東京都立図書館・柏崎市立図書館などに写本。
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